『千里眼事件―科学とオカルトの明治日本』長山靖生

千里眼事件―科学とオカルトの明治日本 (平凡社新書)私たちは、今、ある事実を、本当に「分かっている」のだろうか。
実際に自分が見聞きしたものが、確かに存在している、と言い切れるだろうか。
その現象を、ただ「信じている」だけに過ぎないのではないだろうか。
本書を読み、今まで抱いていた「認識」の意味が根底から揺さぶられ、周りに存在するものを見る目が変わってしまった。

本書は、明治末期に、心理学者・福来友吉によって実在を主張された超能力、いわゆる「千里眼事件」を検証したものである。
映画化された『リング』のイメージが強すぎて、最初の数ページは映像を頭から追い払うのが大変だった。
もちろん、本書はホラーではなく、論理的に話が展開されている。
なぜ、人々は、透視や念写といった超能力を信じたのか。なぜ、学者やマスコミを巻き込んで、これほど熱狂的な騒動にまで発展したのか。
著者は、そもそも実験が科学的・客観的な状況で行われたのか、という問題から掘り起こし、「千里眼事件」から見えてくる人間の「認識」の危うさを訴える。
「千里眼事件」が起こった原因は、一つとはいえない。
自称“超能力者”の思惑を含め、①大衆の知識欲 ②愛国主義と結びついた、科学上の新発見を望む気運 ③それに応えようと過熱したメディア ④学者の名誉欲・自分の望みどおりの結果を得たいという願望など、さまざまな要因が本書では挙げられている。
一大センセーションを巻き起こした超能力は、明治時代の人々が望み、作り上げた虚像だったのかもしれない。

省みて、現代ではどうか。
血液型で人を判断するテレビ番組は後を絶たないし、遺伝子研究など“最先端”の話題が新聞を賑わす。最近では、韓国の教授による論文捏造事件が記憶に新しい。
物や情報が増え、科学や技術が進歩しても、それを用いて判断する人間は100年前と大差ない。
「信じる」ことと、「分かる」ことの区別が曖昧になっている今だからこそ、本書から学ぶ意味は大きいと思う。[Amazon]

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