『にぎやかな天地(上・下)』宮本輝

にぎやかな天地 上にぎやかな天地 下

死というものは、生のひとつの形なのだ。この宇宙に死はひとつもない。
きのう死んだ祖母も、道ばたのふたつに割れた石ころも、海岸で朽ちている流木も、砂漠の砂つぶも、落ち葉も、畑の土も、おととし日盛りの公園で拾ってなぜかいまも窓辺に置いたままの干からびた蝉の死骸も、その在り様を言葉にすれば「死」というしかないだけなのだ。それらはことごとく「生」がその現われ方を変えたにすぎない。

本書の主題は、冒頭の数行に示されている。
宮本輝は、自身の信仰を強く作品に打ち出して、帰納法ではなく演繹法で小説を書く作家だと思う。
まず結論をもってくる。そして、それを理論づけるようにエピソードをひとつひとつ描いていくのだ。だから、長い物語の旅を終えて再び始まりの場所に戻ったとき、作者がこの作品で描いていた世界が、心の底から理解できるのである。

主人公・船木聖司は、豪華限定本の編集・製作を手がけるフリーの編集者で、ある時顧客の老人から「日本の優れた発酵食品を後世に伝える本」の制作を依頼される。彼は日本各地を取材し、人々と関わりながら、父親と祖母の死に思いをはせ、自分の進む道を模索していく。

本書は、一義的には、葛藤しながら成長していく青年の心の軌跡を描いた物語だ。しかし本質的には、「発酵」という一現象を通して、生命論を説いた作品といえる。
「死とは何か」という、あらゆる生きものの根底に横たわる問題を、見事小説に昇華させているのだ。
家族や友人など愛する者を失った時、人は悲しみに打ちひしがれる。その時周囲は、「時が解決してくれる」と言って落ち込んでいる人間を慰める。
ところが作者は、「時間」の必要性と重要性を認めつつも、それだけでは不十分だという。発酵のように時間をかけることと、意思の力(作中では「勇気」という言葉を使っている)によって初めて、理不尽な死すら意味のあるものに変えていけるというのだ。
このパラダイムシフトによって聖司は父親の死を受け入れ、より広い視野でものごとを見ることができるようになっていく。決して、彼の立場や取り巻く状況が劇的に変化した訳ではない。彼の「心」が変わることで、見える景色がガラリと変わったのだ。

聖司を支える料理人・丸山や、依頼主・松葉も愛する家族を亡くし、いわば「死」を見つめた人間といえる。一方、子どもが生まれた友人のカメラマン・桐山は、「生」を意識させる存在だ。
徹頭徹尾、「生」と「死」の問題に真正面に向き合った作品で、読み手に深い思索をもたらしてくれる小説である。

ただ、主人公が年齢より妙に落ち着いているのが気になった。まだ30代というのに、この「枯れ」具合は何なのだろう。むしろ、50代という方がしっくりくる。[Amazon]

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