『漂民ダンケッチの生涯』神坂次郎

漂民ダンケッチの生涯江戸時代の「漂流民」といえば、ロシアのエカチェリーナ女帝に拝謁した大黒屋光太夫や、幕末の日米外交で活躍したジョン・万次郎などが有名だが、本書は、この二人の物語ではない。
紀州出身の「船乗り岩吉」が、主人公である。「伝吉」とも、のちに「ダンケッチ」とも名乗ることになる。
「あまり名前の知られていない、歴史の中に埋もれた人間を描きたい」と、何かのインタビューで神坂次郎は語っていたが、伝吉を題材にした小説を書くとは、なんとも心憎い。

彼は、嵐に遭い、二度も漂流している。
一度目は、流人の島・八丈島に流れ着き、二度目は、アメリカ船に助けられアメリカへと渡る。よく死ななかったものだ。異国へ流されるのは過酷だが、命があっただけでも、かなりの強運の持ち主である。
江戸時代の航海は、現代に比べ危険度は格段に高い。
流された八丈島で、伝吉たちを含め漂着した船乗りが277人もいることから、難破船の多さが窺い知れる。

アメリカに渡った伝吉は、同じように流されてきた日本人と出会う。異国での生活は厳しい。阿片に逃げる者、祖国へ帰りたいと願いながら一生を終える者、語学を習得しその国で生き残っていく者など、さまざまな人間の姿が描かれている。
突然襲い掛かった宿命にどう立ち向かうか―。作者は、漂流民の生き方を通して、そのことを読者に問いたかったのではないだろうか。

その中で、尾張の漂流民・音吉という人物が、魅力的だ。
難破し、漂流中に11人が病死・餓死し、残ったのは音吉含めたった3人。半死の彼らはインディアンに発見され、奴隷として売り飛ばされる。その後、ずばぬけた英語力と商才で、イギリス系商社・デント商会の支配人にのしあがるのだ。
嘆き悲しみ、自暴自棄になってもおかしくないのに、彼はそうしなかった。
作者には今度、彼を主人公にした物語を書いてほしいものだ。

祝福されず生まれ、養父からも疎んじられ、家族に恵まれなかった伝吉の生涯は、広い海でさまよう漂流民の姿と重なる。
八丈島を、伝吉の帰るべき故郷にしたことは、作者の慈愛の現れなのだろう。[Amazon]

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