『柳生武芸帳(上・下)』五味康祐

本書はボリュームがあるだけでなく、難解で複雑な内容である。
物語の筋は、三巻の武芸帳を追う、という単純なものなのに、登場人物の多さ、場面転換の細かさ、挿話の長さなどで、物語はややこしくなってくる。
特に登場人物が、変装し変名を使うことで本当の姿を隠しているから、誰が誰だか分からず混乱してしまうのだ。その上、三巻の武芸帳も人の手から手に渡って動くため、事実関係を把握するのに苦労する。
未完のため、肝心の武芸帳に秘められた謎は明かされないまま終わっているのだが、本書の素晴らしさは決して失われていない。内容の面白さ、緊迫感ある決闘場面の描写、格調高い文体など、どれを取っても一級品だ。
本書の最大の魅力が剣豪の殺陣シーンにあるということは、間違いないだろう。次々と登場する剣豪たち。それぞれ気質や得意技が異なり、誰が一番強いのか、考えるだけでワクワクしてしまう。
数ある決闘の中で最も印象的なのは、柳生宗矩率いる柳生高弟たちと山田浮月斉一派が、観月橋の上で対決する場面だ。達人同士の生死をかけた戦いは、その場の空気がピンと張り詰めたような緊迫感があり、手に汗握る。
この作品は、「チャンバラ小説」ゆえに、個人の神業的な剣・忍術の能力に目が奪われがちだ。しかし、本書の眼目は、“個”を超えた、“組織力”にあるのではないだろうか。
“家”や“族”、日本という“国”を守るため、集団は一致団結して事に当たる。そして目的遂行のためなら、非情にも親は子を犠牲にし、自らの命すら投げ出す。
作中、宮本武蔵が、ライバルの柳生兵庫、ひいては柳生一族に対して敗北感を覚える場面がある。剣士として皆に一目置かれながらも、一介の浪人に終わった武蔵。対して、全国各地に散らばり繁栄を誇る柳生一族。武蔵は、武芸の腕はともかく、組織力で柳生に負けたのだ。
最初、武芸帳に利害関係のない武蔵を登場させる必要性があるのか、疑問だった。しかし、“組織”の姿を浮き彫りにさせるために、“個”の代表として武蔵を出した、と考えると納得できる。
皆が一丸となり、目的達成のために努力する。家のため、会社のため、社会のために自分の身を投げ打つ―。功罪あるが、そのことが美学とされた時代は、確かにあった。この作品が昭和31年に書かれたという時代背景を考慮すると、高度経済成長期のエネルギー溢れる日本人の姿を、本書の登場人物たちに重ね合わせてしまう。
この作品には、主人公と呼べる人物はいない。存在感でいえば柳生宗矩なのだが、彼すら、武芸帳を追う人間の一人に過ぎない。傑出した一人に皆が付き従うのではなく、暗黙の了解があるかのごとく皆が歩調を合わせて行動する。
良くも悪くも日本人らしい姿が描かれた作品である。[Amazon]
あらすじ(ちょっとネタバレ気味)
三巻からなる「柳生武芸帳」。この武芸帳には、宮中で昔あったある重大事件に係わる秘密が隠されており、三巻すべて揃えてはじめて謎を解ける、というもの。この巻物は、三ヶ所に分けて隠されている。中身が公になれば、柳生一族は破滅し、徳川幕府や朝廷を巻き込んで日本を揺るがす事態となることは避けられない。
武芸帳を探し出し破棄しようとする、柳生但馬守宗矩を筆頭とした江戸柳生一族。それに、対立する陰流・山田浮月斉一派、お家再興を目論む竜造家の夕姫たち、幕閣の面々が、それぞれの目的のために武芸帳を追い求める。



コメントはまだありません。