『ありふれた風景画』あさのあつこ
誰も本当の自分を分かってくれない。自分のことを理解して受け止めてほしい。けれど、本当の自分って何だろう?
十代の頃、一度はこんな風に思った人は、本書を読んで共感できるところがあるかもしれない。
本書は、二人の少女を描いた作品だ。
クールで他人と関わらないように過ごしていたことが災いして、「ウリ」をやっていると噂されるようになった高校2年の高遠瑠璃。美貌の持ち主で、動植物と会話できる特殊能力によって皆から気味悪がられている高校3年の綾目周子。
他と交わらない彼女たちは、周囲から浮いた存在だ。人は、どうして自分とは違う異質なものを恐れ、排除しようとするのだろう。「みんな一緒」という言葉は、明るい響きとは裏腹に、一瞬で牙をむく残酷さも兼ね備えているのだ。
友達もおらず孤独だった彼女たちが、ある時出会い、次第に惹かれ合っていく。
一人から、二人へ。傷を抱えた少女たちの心の軌跡を、作者は丹念に描いている。それは、「切なさ」を通り越して、ひりひりするような「痛み」に近い。
分かり合いたい―。そんな少女たちの切実な思いが、ページから溢れている作品である。青春小説というか、これはもう恋愛小説だろう。本書で描かれる「同性愛」は、男性には理解しがたいかもしれない。けれど、「愛」までいかなくとも、それに似た感情を同性の友達に抱いてしまうのは、十代の女の子にはよくあることだ。
ただ、最初の方はおもしろかったのだが、瑠璃と周子の距離が縮まっていくにつれて、だらけてしまったのが残念だ。使い古された感のあるテーマに、もう少しオジリナリティがほしかった。周子の特殊能力は、果たして必要だったのだろうか。
また、一章割いて語られる加水洋祐という高校生の物語は、作品全体を通してどうもしっくりこない。瑠璃と周子が交互に語る形式の方が、より二人の内面を描けたのではないか。
取り留めない会話や、ありふれた風景を見て楽しいと思う。その幸福感は伝わってくるものの、それほど心に残らない作品だった。[Amazon]



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