『野鴨』イプセン

野鴨 (岩波文庫)同じものを見ても、人によって受け取り方はさまざまである。
例えば、夜空に輝く満月を見て、ある者はロマンティックなムードに浸り、またある者は、学術的に考察する。中には、食べものを連想して、お腹を空かせる者もいるかもしれない。
つまり、対象は同じでも、見る人間の性格や立場や心によって、あらゆる姿にかたちを変え、意味を持たせてしまうのだ。

この作品では、一羽の「野鴨」が、登場人物たちの人間性の違いを、如実に象徴している。エクダル親子は「希望」を、妻のギーナは「無関心・平穏」を、娘のヘドヴィクは「孤独」を、グレーゲルスはヤクマール、ひいては「欺瞞に満ちた生活を打ち破る救世主」を、野鴨の姿に重ね合わせる。
野鴨は単なる一羽の野鴨であり、自身の存在を声高に主張しない。受け取る者が、勝手に解釈しているだけなのだ。
もっとも、対象に意味を持たせること自体は、決して悪いことではない。それは、感情や思考が具わった人間の、素晴らしい働きの一つなのだから。しかし、それを他人に押し付けてしまえば、どうなるのか―。

この作品では、“正義病”に侵されたグレーゲルスの行動を通して、「真の幸福は他人から与えられるものではなく、その人間の内面からの変革なくしてはありえないのだ」という教訓を残してくれる。
120年経った現在でも、“正義”の押し売りの、何と多いことか。
グレーゲルスに悪意はなかったといえ、彼の“正義”は、エクダル一家の破滅をもたらし、結局友を幸福にすることはできなかった。悲しい結果になったのは、彼が友の幸福を口にしながらも、その実、自分の理想とする考えを証明したかっただけだからではないか。
私は、グレーゲルスの正論より、医師の「人生の嘘ってやつは、人を活気づける力を持っているからね」という言葉や、家政婦の「あたしは自分が人に与える以上のものを、人から奪っているとは思いませんの」という言葉の方が、ずっと心に届いた。
真実は、主義主張を振りかざすインテリよりも、市井の庶民の言葉にあるのかもしれない。
イプセンといえば、『人形の家』が有名だが、この作品も、読者に思索をもたらす傑作である。[Amazon]

ノルウェー:原千代海・翻訳

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