『きみの友だち』重松清
重松清さんらしい作品だ。
子どもの残酷な面を描きつつ、ひとりひとりを見守る目はとてもあたたかい。それは、作中に登場する、後輩に煙たがれる虚勢を張った少年にも、平等に注がれている。
本書は、11話からなる連作短編集だが、各編を章に見立てたひとつの物語ともいえる。テーマは、「友だちとは何か」。
ひとりになりたくない―。みんなから必要とされたい―。
ここに登場する少年・少女たちは、「学校」という小さな社会の中で、自分の居場所を確保しようともがき、悩む。表面上は楽しそうにしていても、実際は皆、孤独だ。そんな状態を、作者は、「みんなぼっち」と表現する。
言葉の使い方としては間違っているのだろう。けれど、言わんとするところは分かる。陽気でいつも皆の中心にいるような子でも(むしろそんな子の方が)、すんなり受け入れられるのではないか。電車内で、周囲に目を向けることなく、とりつかれたかのように携帯メールを送受信している高校生を見かけると、この言葉が頭に浮かんでしまう。
重松さんは、「子どもは純粋で無邪気」という安易な捉え方をしない。
ある日突然、理由なく特定の子を仲間はずれにする。そんな、子どもの持つ残酷さを認めたうえで、「ではどうすれば、そんな中で幸せに生きていけるのか」ということを、ずっと模索し続けている作家だと思う。
「いじめはダメだ」と正論を言って終わりにせず、子どもたちの心の中に分け入って考えようとしている。だから彼の作品は、読む者の共感を集め、感動を呼び起こすのではないだろうか。
光が当たれば、影もできる。この作品は、明るく感動的な面だけでなく、暗く悲しい面も、きっちり描いている。初期の作品『ナイフ』ほどではないが、その暗闇の深さには、目を背けたくなった。
本書では、前述のテーマに対する明確な答えは示されないが、ヒントはいたるところに散りばめられている。この物語から何が得られるかは、読み手次第。
ひとりひとりが、唯一絶対の解答などない問題を、もがき苦しみながら一生かけて考え続ける。もしかしたら、そのこと自体に意味があるのかもしれない。[Amazon]



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