『ガラスの動物園』テネシー・ウィリアムズ

ガラスの動物園 (新潮文庫)家族の物語である。
幸せな過去の記憶に浸りながらはかない夢を見る、子ども思いの母親・アマンダ、脚の障害にコンプレックスを抱いて、内にこもるようになった娘・ローラ、惨めな生活から飛び出していこうとする息子・トム。
立場や性格の異なる3人の家族を中心に、追憶劇として物語は展開する。

登場人物は、来訪する青年紳士のジムを入れて、たったの4人。舞台は、セント・ルイスの貧しいアパートの一室から動かない。動きが少なく、派手さもない演劇だが、登場人物たちの心は目まぐるしく変化し、実にドラマティックでリアリズムに溢れた作品となっている。

テネシー・ウィリアムズは、人物造形に非常に優れた作家である。
一人一人のキャラクターを、すぐさま読み手に理解させ、皆の共通認識にしてしまう。作者の自伝的要素が強い作品であることも関係しているのだろうが、アマンダ、ローラ、トムの書き分けは巧く、どの人物に照準を合わせて読んでも深く考えさせられる作品だ。

舞台の語り手ともなっているトムは、作者の分身といえる。
辛く惨めな生活の記憶と、自身の姉を救えなかった悔恨の念が物語全体を覆っており、もの悲しい雰囲気を漂わせている。作者の、登場人物に向けられたあたたかい眼差しが、ラスト・シーンで涙を誘う。

「上演のためのノート」で述べているように、作者は「写真のように本物そっくり」の写実劇を求めてはいない。「幻想の中に真実」を見せるのだ。この徹底したリアリズムこそ、私たちを惹きつけてやまない魅力である。
この作品は、あくまでフィクションでだ。しかし、ここには、時代や国境を超えて通じる普遍的な家族の姿がある。私たちは、辛い現実から目を背けるアマンダやローラの姿に自分を重ね合わせ、自分の気持ちを分かってもらえないもどかしさに苦しむトムに、共感を覚えるのだ。

社会と隔絶し、ガラスでできた動物たちを可愛がることが唯一の楽しみとなったローラは、自らもガラスのようにもろく壊れやすい存在になってしまう。
家族とは何か。人は皆、孤独なのか。生きていくとは何か―。幕が閉じた後、穏やかだが重い余韻を残す作品だ。[Amazon]

アメリカ:小田島雄志・翻訳

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