『徳川将軍家の演出力』安藤優一郎
家康、秀忠、家光・・・。学生時代、徳川十五代将軍をすべて諳んじることができたのに、今では半分覚えていればいいところ。
約260年続いた徳川政権には長短あるだろうが、戦乱の世に終止符を打ち、「パックス・トクガワーナ(徳川の平和)」と呼ばれる安定した時代を築いたことは、紛れもない事実である。
本書では、徳川家がいかにして自らを「ありがたく」も「もったいない」存在として人々に認識させ、将軍たる地位を確立していったかを将軍家、大名、江戸庶民などの視点を通して解説している。
将軍家は、人目に触れないことで神聖さや威厳を演出し、将軍の価値を下げないよう、徹底した情報管理を行った。これは、現代のマーケティングやブランド戦略と共通するところがある。いうなれば、「葵の御紋」がソニーやシャネルのような商標で、徳川家自体ひとつのブランドとして機能していたと見ることができるのだ。
私はこれまで、ドラマの影響もあってか、「将軍家=権力=圧制」という図式で見ていた。大名や庶民はただ、圧倒的な力を有する将軍の御威光の前にひれ伏し、従わざるを得ないのだと思っていた。
確かに、大名家は参勤交代を義務付けられ、問題のある藩は取り潰されることが多々あったし、人々は幕府の作り上げた階級制度で「身分」を自覚させられ、前述のように幕府に都合の悪い批判的意見は力で握りつぶされた。
しかし本書を読むと、決して軍事力だけで将軍の御威光が維持されていたわけではないことが分かる。大名家は、将軍の「御成」や「献上品」を、自分の家をアピールし、他大名家との差別化を図るツールとして利用し、江戸庶民は将軍の御膝元としての優越感に浸った。つまり、将軍家の御威光を皆が享受し、そのブランド支えていたのだ。
なるほど、皆に支持されなければあれほど長きにわたって徳川時代が続くことはなかっただろう。本書の指摘は私にとっては新鮮で、これだけでも読む価値は十分にあった。
本書で紹介されている独特の作法はどれも、卑屈なまでに馬鹿馬鹿しく映る。けれど、著者はこう述べている。
現代からは想像もできないが、これが同時代を生きた江戸っ子の偽らざる心情なのだ。この心情を現代人の感覚や価値観で判断してはいけない。江戸っ子が現代人と同じように考えていたとは限らないのだ。(P.77)
大名家の意地や庶民の心情を巧みに利用し、人々にさまざまな作法までをもありがたがる雰囲気を作り出したことこそが、将軍家の演出力の真に凄いところなのだと思う。[Amazon]



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