『秘密の花園』フランシス・ホジソン・バーネット
大人になって『秘密の花園』を手に取ることに、なんとなく気恥ずかしいものを感じるは私だけだろうか。
『秘密の花園』は、バーネットが子ども向けに書いた児童文学作品である。私がこの作品を初めて読んだのは、小学生の時。「子どものための世界名作文学」シリーズの中の一作で、『ひみつの花園』として集英社から刊行されていたものだ。

余談になるが、この「子どものための世界名作文学」は、『たから島』や『オズの魔法使い』といった有名なものから、『デブの国、ノッポの国』や『てん子ちゃんとアントン』といった少し風変わりな作品まで幅広く古典の名作を紹介しており、読み応えのある、好きなシリーズだった。残念ながら30巻全てを揃えてはいないが、丁寧に描かれた挿絵入りの本は、ボロボロになった今でも大事に取ってある。右の書影を見ると、どうやら装丁は一新されたようだ。
私が子どもの頃読んだものは、読みやすいように物語が短くまとめられていた。だがそのことを差し引いても、本書は私が覚えていた『秘密の花園』とは別モノで、驚いた。
まず、主人公のメアリの様子を描写する冒頭から違和感を抱く。淡々とした文体が続き、“かわいげのない子供”・メアリが、ここで強く印象づけられる。私の記憶の中のメアリは、もう少し可愛い女の子だったはずなのだが・・・。
本書では、メアリや病弱なコリンのわがままぶりが容赦なく描かれ、バーネットが単に子どもを“純粋で無垢な存在”と考えていないことが分かる。このあたりは、巻末に優れた解説があるので、多くは触れない。
ただ、私はこの作品を、「10年間閉ざされていた庭を子どもたちが甦らせることで、家族の再生も果たす」という幸せなお話と解釈していたのだが、物語はもっと複雑で、「こんなに奥行きのある作品だったのか」と目が覚める思いがした。
例えば、メアリや叔父、息子のコリンの孤独な心の内の根底に、逃れようのない“死”が横たわっていること。あるいは、生命力の象徴である庭は、同時にコリンの母親の死をも思い起こすという逆説。
本書では、“生”と“死”が混然一体となって存在する。荒れ果てた庭の再生が可能だったように、たとえどんな不幸に打ちのめされたとしても、そこから再び甦る力も、人間の中には宿っている。
コリンは「魔法」という言葉を用いているが、それが「生命力」というものなのだろう。この作品を読んで、心にあたたかいものが広がるのは、自分の中にある、計り知れない力の存在に気づくからなのだと思う。
訳者あとがきによれば、原書は意外なほどそっけない文章なのだという。「大人が読む作品として、手加減なしの文章で『秘密の花園』を翻訳することにした」との思惑通り、児童書というより、大人の心を打つ作品に仕上がっている。
読後、気になって手元の『ひみつの花園』を読んでみたが、やはりメアリはもっと可愛く描かれていた。コリンの癇癪も控えめである。同じ作品でも訳が違うと、伝わる雰囲気はこれほど異なるのである。「今さら『秘密の花園』なんて・・・」と思っている人にこそ、是非、読んでほしい新訳である。[Amazon]
イギリス:土屋京子・翻訳
The Secret Garden
Frances Hodgson Burnett





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