ブログ記事の盗用はやめてください!
つい最近、とても不愉快な思いをしました。
今後、書評ブログを続けていく上で同じことがないように、その出来事について書いておこうと思います。なお、この記事を削除するつもりはありません。
概要は、こうです。
訪問したブログのトラックバックから、私はある読書ブログに辿り着きました。記事は、G・ガルシア=マルケスの『落葉 他12篇』という本に関するものです。そこには、私の書評とほとんど同じ書評が掲載されていたのです。一瞬、我が目を疑いました。
同じ本を読んで、似たような感想を抱いたり、一部分が同じ言い回しになってしまったりすることはよくあります。でも、問題の書評は、語尾を変えて少し補足しているとはいえ、基本的には私の書評でした。
全くの偶然かとも思ったのですが、他の人に見てもらっても、どうしても「私の文章を真似ているとしか考えられない」のです(後で両方の書評を掲載しますので、比べてみて下さい)。
私のブログは趣味でやっているものですし、素人が書いた拙い文章でもあるので、最初は放って置こうと思いました。エントリーした日付を見れば、どちらが先に書いたかは一目瞭然ですし。
ただ私が許せなかったのが、そのブログの管理人(仮にAさんとします)が、他のブログ(私が分かっているだけで2つのサイト)にコメントを書き、トラックバックを送って、さも自分の意見のようにアピールしていたことなのです。
誰の書評かは本人が一番よく分かっているはずなのに、どうしてこんなことをするのだろう、と理解に苦しみました。そして、このまま黙っていてはAさんの書評と認めてしまうことになると思い、2007年8月24日に記事の削除・修正を求めるコメントを送りました。もしこちらの要求に不満があるなら存分に反論してください、と付け加えて。
翌日、Aさんのブログを見ると、早速その記事は削除され、しばらくして「修正」されていました。ただし、その再エントリーした記事には私のコメントだけ削除されていましたが。
反論がないということは、文章の盗用(敢えてキツイ言い方をします)を認めたということなのでしょう。
けれど、Aさんから謝罪の言葉は一切なく、自身のブログでそのことに触れることもなく、Aさんは今でも書評記事を書いています。何事もなかったかのように。
そのことに、私は違和感を抱いてしまうのです。
確かに、私は「削除してほしい」としか書きませんでした。でも、それだけでいいのでしょうか。Aさんの記事にコメントを書いた人たちは、今でもそれがAさんの書評だと思っているでしょうし、なぜ突然文章を変えたのか理由が分からないでしょう。もしかしたら、Aさんにはそれほど悪いことをした、という意識がなかったのかもしれません。
ただ、人の文章を盗用し、なおかつその非をきちんと認められない人が、本を「批評」することなんてできるのか大いに疑問です。いくらドストエフスキーを読んでいても、どれだけ文章力が優れていても、何の意味もない、と私は思います。
実は、Aさん以前にも、私の書評をそっくり掲載しているブログがありました(この時は、全く同じ文章でした)。その時は、ブログの運営会社に報告して解決しましたが・・・。
自分が書いたもののように掲載されているのを見ると、腹が立つし、悔しいし、なにより気味が悪いです。ネット上では、相手の顔が見えないから、余計に不気味です。
このサイトは、「本が好き」という思いだけで細々と続けているような、地味なブログです。私の文章が無断で使われるのは、書評が良いからではなく、単に人の見ていないようなブログだから分からないだろう、という部分が大きいのでしょう。
だから、長々とこんな記事を書いたところで、誰も読んでくれないのかもしれません。
でも、たとえ空しいひとり言になってもいい。
ブログを初めて1年にならないのに、2度も文章を盗用されたことに、正直かなり落ち込んでいます。
自分の意見を書くから、ブログをする楽しさがあるのではないですか?誰かの記事を掲載したいなら、引用するなり、リンクを貼ればいいことなのではないですか?
こんな記事をわざわざ書かなければいけないなんて、悲しいことだと思います。
+++ 『落葉 他12篇』(G・ガルシア=マルケス著/新潮社)に関する二つの書評 +++
■私が2007年6月7日にエントリーした書評
■Aさんが2007年8月20日にエントリーした書評(全文)
「死の向こう側」という作品がある。双子の弟を亡くした男性が、自分とそっくりの顔の死体を前にして“生”と“死”の違いは何なのかを考え始める。死への恐怖心が生まれ、それが徐々に膨れ上がって最高潮に達し、やがて収束していく主人公の心の内が、息の詰まるような緊張感を持って語られている。
本書はガルシア=マルケスの死生観を探ることのできる一冊といえるのだが、作者は「生と死」についてまだ手探り状態にあったのではないか、と思う。この作品群を書いた当時のガルシア=マルケスはまだ、若かった。作者の描く“生”と“死”に大きな隔たりはない。だが、この二つを分けるのは何か、というところになると、とたんに筆が曖昧になる。“生”と“死”はガルシア=マルケスの作家としての成長と共に、自分の世界観を確立してゆく。その進行過程として読むと、また面白い。
また本書には、「におい」や「手触り」といったものが頻繁に出てくる。ホルムアルデヒドの匂い、塗り立てのペンキの臭い、トランクやごみ屑の臭い。作者は実際に五感で感じられるものを通して“死”を捉え表現しようと試みる。もしかすると、そこに限界があるのかもしれない。
本書が、『百年の孤独』や『わが悲しき娼婦たちの思い出』と同じ作者とは意外である。あの、こちら側に侵食してくるような圧倒的な力強さがなく、どちらかというと淡白な印象を受ける。扱うテーマこそ一貫しているが、カフカやヘミングウェイなどの作家に影響を受けた小説作法によって書かれた作品は、どこかよそよそしい。良く言えばさまざまなテイストの作品を楽しめる作品集だが、悪く言えば、ガルシア=マルケスの筆にまだ模索しているような不安定さを露呈している気がするのである。それでも、そこかしこにすでにガルシア=マルケスの色とも言うべき独特の世界観が垣間見えるのは、さすがというしかない。
表題作・「落葉」は、のちの『百年の孤独』へと結実する処女長編。
一人の男の死を、大佐とその娘と孫の少年の三世代の視点で語ることによって、マコンドという町の興亡も同時に浮かび上がらせる。死んだ男の孤独と町の荒廃が哀しく伝わってきて読み応えがあるのだが、三世代の視点が少々弱い。もう少し、少年の視点が強く出ていてもよかったのではと感じる。のちのマコンドものの出発点となった作品。
変わらないもの、それはサン・ヘロニモの双生児の姉妹の歌と、二十年も前から火曜日ごとにメリッサの小枝を貰いに来ているのに、齢を感じさせない不思議な物乞いの女だけです。誰をも運び去ることのない埃まみれの黄色い汽車の警笛だけが、一日に四回、静寂を破ります。そして、夜になると、バナナ会社がマコンドから去るときに残していった工場のトーン、トーン、トーンという音が。



両方読みました。本当にそっくりですね。なんていうサイトなんですか? やはりAさんとしか書けませんか?
本というものは個人的な感情が書き手にも読み手にもあるはずで
自分で選んだ本というものはまさにこだわりのかたまりであると思います。
そのこだわりを放棄して、他人の意見を盗用するなど…信じられない
この人はきっと読んでないですよ、マルケスなんて読めるはずがないです。
本読まずに書評だけ読んで、読んだ気になってるのではないでしょうか?
久々に腹立たしい出来事でした。
まさかコメントが来るとは思わなかったので、嬉しいです。ありがとうございました。
探せばすぐ見つけられるでしょうが、ここでサイト名を公表するつもりはありません。
要求どおり削除してくれた訳だし、後はAさんの倫理観の問題だと思っています。
私がこの記事を書いたのは、もやもやした気持ちを吐き出したかったからと、また同じようなことが起きないためにきちんと意思表明しておきたかったからです。
修正された書評に関して不満はありますが、もう相手にするのもバカバカしいです。
長文を読んでくださり、しかもコメントまで書いてくださって、本当にありがとうございました。
>本というものは個人的な感情が書き手にも読み手にもあるは本のずで自分で選んだ本というものはまさにこだわりのかたまりであると思います。
そうなんですよね。
見当違いかもしれないけど、これは私が感じた『落葉』であって、他の誰のものでもないはずです。
それが読書の醍醐味なのだと思うのです。
だから、他人の感想を抜き書きして空しくないのかなぁ、と不思議で仕方がありません。
>この人はきっと読んでないですよ
どうなんでしょう・・・。
記事内に書かれていたコメントによれば、Aさんはガルシア=マルケス全集を読破するつもりだそうですが。
相手先のブログを見ました。
他の書評も、コピーされて記事を作成してました。
(全部かどうかわかりませんが)
いろんな書評からコピーされているみたいです。
(私がわかったのは、村上春樹さんの書評でした。)
そのブログは、書評の文体が同じ人が書いているとは思えない文脈なんで、
文(語尾は外す)で検索しましたら判明しました。
私も大した書評はできませんが、
他のサイトの書評、それも、複数から、あそこまで、
丸写しするのは、確信犯です。
ぐらさんが、お怒りになるのは最もだと思います。
>もう相手にするのもバカバカしいです。
おしゃるとおりだと思います。
まともな書評が出来ない人みたいですから。
コメント、ありがとうございました。
ほとんどストレス発散のために書いたようなものなので、読んで頂けただけで有り難いです。
私は、他の書評はざっと目を通した程度なので分からなかったですが・・・。
そうなんですか。ひどいですね。
コピーされた方はまだ知らないんでしょうか。
そんなことをして空しくないのかと、ますます理解できなくなりました。
同じ書く側の人間として、すこしコメントさせていただきます。
ある本を読んで感じたことを書くというのは、おそらく誰にとってもとても難しいことだと思います。書いているときにいやになることも(僕は)あります。
が、それでも楽しいから書いているんだと思います。本を読んでいる最中、読み終わったあと、あるいは書評を書いているときに、書きたいことが次から次へとわいてきます。その書きたいことを実際に書く作業は、とても楽しい。
真剣に書評を書いている人は、多かれ少なかれ同じことがあると思います。すくなくとも、「楽しさ」は存在すると思います。
Aさんがその楽しみを知らないとしたら、とても損だと思います。
最後に読む側として。
ぐらさんの書評が盗用されたとしても、それはぐらさんの書評の価値を貶めることでは一切ない、と思いました。この記事を読んでの感想です。
ぐらさんの『落葉』の書評は、自身の体験を踏まえて作品内から「死」を読みとっている、良い書評だと思います。当然ぐらさんにしか書けない、貴重なものです(盗用されたら、それは怒りますね)。静謐で潔い文体から、その小説に真剣に向きあっていることもわかる、良い書評だと思います。
長くなりすぎました。すいません。このへんで。
私は文章を書くのがあまり得意ではないので、書くことの難しさをいつも痛感しています。
たまに、本を読んでいる時間より書評を書いている方が長いのでは、と思うこともあります。
でも、書く作業(それに伴って考えること)は楽しいです。
感じたことをうまく言葉にできた時なんかは特に。
だから、キズキさんのおっしゃることはとてもよく分かります。
それと、拙い書評も読んでくださってありがとうございました。
冒頭の部分は個人的なことなので、掲載するかどうか迷ったんですよね。「書評」にそぐわない気がして・・・。
でもこれを書かないと、なぜ私が13遍の中から敢えて「死の向こう側」を選んだのかが伝わらない。そう思って、長くなるのは承知で載せました。
それを評価して頂けたのは、恥ずかしいような、嬉しいような複雑な気持ちです。
ネットに嫌気がさしていたので、あたたかいコメントは心に沁みました。ありがとうございました。
ぐらさんがお怒りになるのは当然です。
私がやられたら相手のURL晒しちゃいますけどね。
あ、その前に誰も私の記事なんか盗用しない?
この記事の、相手先のブログ、見てきました。記事をいくつか読みましたが、時々あきらかに普段と違う文体の書評が混じっているようです。おそらく時々、でも常習的に盗用をしているのだと思います。
書評のブログなのに自分の感じたことを書かなくて何の意味があるのでしょうか。
きっとこの人にとってのブログとは、記事をUPすることでしかないのでしょう。
だったら止めればいいのに。
ぐらさん、こんにちは。
今回の件、本当に本当に残念でなりません。
わたしは間接的ながらAさんとは関わりのある身。
だからこそ、なおさらショックでした。
一読者として裏切られた心地でいます。
また、本物を見抜けなかった自分自身にも憤りを感じます。
間接的に関係するだけのわたしがこんなふうなのだから、
きっとぐらさんの憤りはもっともっと激しく苦しいものなのでしょうね。
(自分の思いばかり書いてしまってごめんなさい!)
このようなことが二度と起こらないように、
今できる対処は一応すべてやってきました。
同じ読書ブログをやっている者として、
人間としての最低限のマナーくらいは守ってゆけたらと思います。
これからも、ぐらさんのレビュー楽しみにしております。
今後もどうぞ宜しくお願い致します。
コメント、ありがとうございます。
すぐ見つけられるなら、サイト名を公表しているのと同じような気がしてきました。
単に個人攻撃のための記事ではないので、詳しく書きすぎたと少し反省しています。
大学のレポートならともかく(いや、それもダメなんですが)、誰に強制された訳でもないブログで他人の文章を使う心理が、私にはどうしても理解できません。
もう関係ありませんが、もしAさんがこの記事を読んでいたら、コピーした書評はすべて削除して、自分の言葉で書き直してほしいと思います。
私がこの記事を一番読んでほしかったのは、ましろさんだったのかもしれません。コメントを頂いて、そう感じました。
自分の知らないところで、自分の書いたものが別の人のものとして認識されている。
それは、腹立たしいというより、悲しいものです。
私は妄想力たくましい人間なので、自分はもしかして多重人格者で、その中のひとつの人格が別サイトをつくって同じ記事を載せたのか?と、自分の精神状態まで疑ってしまいました。
だから、読んでくださって本当に感謝いたします。
それだけで、充分満足です。
ましろさんのブログ、何度か拝見しておりました。
一篇の小説のような書評に、羨ましさを感じつつ。
こちらこそ、よろしくお願いいたします。
この相手の方の心理が気になって仕方がありません。
同じ、ブログを書く者として重大な問題だと思います。
この件で記事を書きました。
不快に思われるようでしたら削除いたしますのでご一報ください。
SECRET: 0
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私の覇気のなさをpiaaさんが補ってくれました。
piaaさんの記事(http://piaa0117.blog6.fc2.com/blog-entry-631.html)で、議論が巻き起こればいいな、と思います(他人まかせ・・・)。
ありがとうございました。