『箱舟の航海日誌』ケネス・ウォーカー

箱舟の航海日誌 (光文社古典新訳文庫)旧約聖書を読んだことがなくても、「ノアの箱舟」はほとんどの人が知っているのではないだろうか。
人間の悪行を見かねた神は、いっさいの生き物を地上から消してしまうことを決意し、ノアにすべての動物のつがいを箱舟に連れて入ることを指示する。その後、大洪水が襲いかかり、40日降り続いた大雨で地上の生き物は皆、滅びる。箱舟に乗ったノア一行だけが生き残り、新たな世界を創り始める、という物語だ。

この、“善人”のノア(とその家族)だけが神に選ばれ生き残る、というところが独善的で私はあまり好きではないのだけれど、キリスト教圏ではやはりメジャーな物語なのだろう、さまざまに解釈されて語り継がれている。
本書もそのひとつ。執筆された経緯が解説に書かれているが、これがおもしろい。ある少女が、ジャングルの動物の本を『たのしい川べ』 で有名な児童作家のケネス・グレアムに書いてもらいたいと、グレアムの友人・ウォーカーに相談したのが始まりだ。ウォーカーがグレアムにそれを伝えると、逆に「君が書いたらどうか」と薦められて一気に書き上げたのだという。
ジャングルの動物と箱舟のエピソードがどう繋がるのか。それは、本書を読めばおのずと明らかになるだろう。

この作品は、箱舟での40日間を主に描いた物語である。大雨の中、ノア家族や動物たちは箱舟の中でどのように過ごし、何を感じていたのか。神話(?)の中の出来事を、作者は想像力を駆使して生き生きとユーモラスに描いている。
楽しいのが、動物たちの描写だ。サル、カバ、ゾウ、トラなどは人格ならぬ動物格をもち、個性豊かに描かれる。これら実在の動物に混じって、架空の生き物も登場して更ににぎやかに。特に、気弱で詩を詠むことが好きな「ナナジュナナ」が印象的だった。かわいい挿絵も一役かっている。

だが、本書は決して楽しいだけの作品ではない。
箱舟に、「スカブ」と呼ばれる一匹の肉食動物が紛れ込んだことから、この平穏で楽しい動物たちの世界に変化が訪れるのだ。本国・イギリスでは児童文学の古典として読まれているそうだが、ここで投げかけているテーマは重く、深い。
私は、本を読む時は先に解説(もしくはあとがき)から読む方がいいと思っている。作者の略歴やその作品の書かれた時代背景を踏まえて読むと、より理解が深まるからだ。もっとも、中には読んで損するようなつまらない解説もあるので、一概には言えないが。
本書は、解説から読むことをおすすめしたい。執筆当時の1920年台初頭の様子が書かれているので、なぜ作者がスカブを登場させたのか、その胸の内に迫ることができる。
高校の時の世界史の授業で、今でもよく覚えていることがある。はじめての世界戦争を、「第一次世界大戦」と呼んでいるが、当時は「第一次」とついていなかったということだ。それは、「第二次」が起こったことで後年名づけられたのだという。愚行を再び繰り返すことになるとは、当時の人々は思いもしなかったのだろう。

一旦世界をリセットして、平和で幸福な世界に向かって漕ぎ出した箱舟。その箱舟が乗せていたものは希望だったのか、それとも更なる混沌だったのか。

「わしにはどう考えていいものやら見当がつかん」(P.237)

最後にノアがぽつりとつぶやいた言葉は、作者の本心でもあるのだろう。

ちなみに、同じくノアの箱舟を題材にした小説で、ジェラルディン・マコックランの『世界はおわらない』レビューへ)という作品がある。ノアに一人娘がいたとする大胆な解釈で展開され、おもしろい。こちらもおすすめである。[Amazon]

イギリス:安達まみ・翻訳

The Log of the Ark (Puffin Books)
Kenneth Walker

  1. ケネス・ウォーカー 箱舟の航海日誌

     英国の作家ウォーカーが、聖書のノアの箱舟の挿話を題材に書いた児童文学。
     きっと皆さんもノアの箱舟の物語を始めて知った時、「なんでライオンやトラみたいな肉食動物は草食動物を食わなかったのだろう」と思ったの

  2. 神の守り人 (偕成社ワンダーランド)

    12才の少女アスラに宿ったのは神なのか。かつて人々が戦に明け暮れるとき圧倒的な力をもって戦人を殺し戦をなくし老いるまでその力によって百年国を支配した者。恐怖の時代か平和の時代か時がたち今ではさだかではない。その力が再び訪れる。少女アスラに。来訪編ではバ…

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