『タイドプール』長江優子

タイドプール主人公のえり子は、小学5年生の女の子。
母は2年前に病気で他界し、父と二人で暮らしていた。そこへ、“マコさん”という新しいお母さんがやって来たことから、えり子の生活は少しずつ変わり始める。家族、友だち、学校生活で悩む少女の姿を描いた作品。

中学生の頃、「思春期」とひとくくりにされるのがとても嫌だったことを、本書を読んで思い出した。
周りの大人たちの言い分に納得できず反抗した時の、「思春期だから仕方がない」と一段上から見下げられる感じが、余計に腹立たしかった。そんな風に突っかかるところが子どもだったのだと、今になって分かる。
それでも、「子どもはいいよな、楽しそうで」と羨ましそうに言う大人には、「それはちょっと違う」と、反論したくなる。子どもだって、大人と同じように苦しさも悲しさも辛さも味わっている。ただ悩みの質が異なるだけで、心にかかる負荷は同じなのだと思う。むしろ、活動範囲の広がる大人より、家庭と学校というごく限られた空間で過ごさなければいけない分だけ、子どもたちの方が息苦しさを感じて生きているのかもしれない。

本書は、そんな子どもたちの窮屈感や鬱屈した感情を、タイドプールの生きものたちの姿になぞらえて描き出している。
父親の再婚をきっかけに沸き起こる、もやもやとした思い。嫉妬とも怒りとも寂しさとも違う、名づけようのない感情に戸惑う少女の心の内が繊細に描かれており、読んでいる私まで主人公と同じような息苦しさを覚えた。嫉妬と紙一重の女の子の友情や、ほのかな恋心、大人になろうと精一杯背伸びする姿に、昔の自分を重ね合わせる人は多いだろう。

だが、この共感できる描写が本書の欠点だとも思う。
昔、私が「思春期」と言われるたびに違和感を抱いたように、ここからは紋切り型の少女の姿しか見えてこない。継母に戸惑う様子や、鼓笛隊のパートを巡って生じた親友との軋轢など、いかにも「大人が書いた子ども像」なのだ。作品としてはうまくできているが、無難に手堅くまとめた印象は否めない。主人公の心理をとことん掘り下げるか、視野を広げて友だちや両親など周りの人間に厚みをもたせてほしかった。
とはいえ、マコさんが両腕を広げて水槽にしがみついている幻想的な場面や、親友から主人公に宛てられた手紙の文面など、ところどころにキラリと光る感性には作者の秘められた力を感じる。次回作を期待したい。[Amazon]

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