『ヴェネツィアに死す』トーマス・マン
世間の人々から尊敬されている老作家が、休暇先のヴェネツィアで出会った一人の美少年を愛する姿を描いた『ヴェネツィアに死す』。
あらすじを読めば、本書は同性愛、もしくは小児性愛をテーマにした作品のように思えるが、むしろ芸術論に近いのかもしれない。
主人公・アッシェンバッハが美少年・タッジオに惹かれていく様は、なるほど、恋である。ただ目があっただけで胸が高鳴り、微笑みかけられると我を忘れて身もだえする。浜辺で友だちと戯れるタッジオをじっと見つめる姿なんて、傍目には危ないおじさんだ。物騒な昨今では、それだけで「あの人、ちょっと・・・」と通報されてしまいそうだ。
最初のうちは、自分の中に芽生えた感情に戸惑っていた主人公(なにしろ、恋した相手が少年なのだから)。だが、「私はおまえを愛している!」と自覚してからは、迷いがなくなり自分の心のまま素直に行動するようになる。それが、功成り名遂げた老作家を破滅の道へと導いていくことになる。ただ、彼がすなわち不幸だったとはいえないだろう。
主人公の少年への思いは、芸術家が純粋な美へ向けるまなざしといえる。
これまで仕事一筋で働いてきた彼は、偉大なものを生み出す者の宿命というべき孤独を抱えていた。そんな男が、疲れた心身を休めるために訪れた先で、完成された芸術品を目の前にしたのだ。芸術的センスのかけらもない私ですら、主人公の狂喜する姿が目に浮かぶ。
一方通行の愛でも、人間の姿をした美を鑑賞するだけで彼の心は満たされたのではないだろうか。また、老いた主人公は、「若さ」という得がたい美も少年の姿に見ていたのかもしれない。
本書の結末は、タイトルで明かされている。忍び寄ってくるコレラの影と、徐々に破滅へ向かっていく主人公の姿をオーバーラップさせ、やがてヴェネツィアの地に溶け込んでいく描写は、叙情的である。
この作品は、ギリシア悲劇や『ソクラテスの思い出』、『パイドロス』なども古典からの引用が随所に出てくる。教養のある人ならともかく、私にとっては楽しむ余裕のない難解な一冊だった。特に、芸術家としてのアッシェンバッハを描いた第2章は、理屈が多くて、何度も読み飛ばしたい衝動に駆られた。その中で印象的だったのが、この一文。
現存するほとんど全ての偉大なものは「にもかかわらず」として存在する、悩みや苦痛、貧困、孤独、虚弱、悪徳、情熱、そして何千もの障害にもかかわらず成立したのだ(P.21)
しばらく経ってからもう一度読んでみたいと思う。[Amazon]
ドイツ:岸美光・翻訳




映画の「ベニスに死す」は見ました。主人公のアッシェンバッハは作曲家のグスタフ・マーラーがモデルだそうで、音楽にマーラーの第5交響曲が使われていたことと、主役のダーク・ボガードがマーラーそっくりだったことしか印象にありません。
映画がピンとこなかったので、読んだことはありません。今回光文社古典新訳文庫からこの本が出たので読んでみようかとも思いながら、まだ手が出ずにいます。
例の件ですが、こちらこそ大変ご迷惑をかけてしまいました。恐縮しています。
映画、有名ですよね。私は観てませんが。
タッジオの描写は、はっとするほど美しいので、映像化したくなる気持ちも分かります。
萩尾望都さんの漫画に出てくる美少年をイメージしてしまいました。
原作は、理屈っぽいです。疲れます。
もう「読む」というより、芸術作品を鑑賞するかのようです。
美を追求する主人公の執念と、それを求めても得られない孤独が伝わってくる作品でした。
芸術家って基本的に孤独なんだな、と思いました。
私なら、美のために死ぬなんて絶対無理です。