『ツォツィ』アソル・フガード
胸をえぐられるような痛みを伴う小説がある。
この世の醜さ・苦しさをまざまざと見せつけられ、自分の価値観が根底から揺さぶられてしまう。本書は、そんな一冊である。
舞台は、アパルトヘイト政権下の南アフリカ。
“ツォツィ”(ごろつき)と呼ばれている主人公の少年は、仲間とともに盗みや殺しを繰り返していた。自分の名前も、歳も、両親も知らない。過去を思い出せない彼にあるのは、今という瞬間のみ。人を殺す時にだけ、生きている実感を味わえるのだ。
ところがある日、襲おうとした女から赤ん坊を押しつけられたところから、ツォツィの心に変化が訪れる。
料理でも選ぶようなノリで標的を決め、ためらうことなく相手を殺し、金を略奪していく冒頭のシーンから衝撃を受ける。お気楽に過ごす私の日常とは、あまりにかけ離れた世界が広がっているのだ。ここでは、命は軽い。白人から虐げられ、貧困にあえぐ南アの黒人の姿がリアルに描かれている。「命は尊い」という正論は、理不尽と暴力が支配する世界では、いとも簡単に吹き飛ばされてしまう。
だが、言葉をもっても変えられなかったツォツィの凍てついた心を、一人の赤ん坊がゆっくりと溶かしていく。彼は、赤ん坊を目の前にして知るのだ。人間は母親から生を享けた、かけがえのない存在だということを。そして、自分自身もまた例外ではない、ということを。
本書は、赤ん坊以前と以後でガラリと変わる。最初の頃の迷いのないツォツィは、仲間からも恐れられるほど強い。けれど、赤ん坊の扱いに戸惑い、悩みながら、自分自身と向き合うツォツィの方が、ずっと人間としての強さを感じた。
作者は、アフリカーナーの母とイギリス人の父から生まれ、反アパルトヘイト活動に身を投じた人物。本書では、ツォツィの物語の根底に、白人支配への強い怒りが感じられる。作者が本当に変えたかったのは、彼らの心なのかもしれない。
また、劇作家だけに、本書は人物の書き分けの巧さが光る。主人公以外の登場人物の背景や思考が丁寧に描かれ、一人一人、生ある人間として浮かび上がってくる。断片的な構成は読みづらいが、そんな些細な欠点も物語の奔流に飲み込まれてしまう。
「生きたい」。たった4文字の言葉が、重みをもって迫ってくる作品である。[Amazon]
南アフリカ:金原瑞人・翻訳
Tsotsi
Athol Fugard





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