『千年の祈り』イーユン・リー
- イーユンリー
- 新潮社
- 1995円
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書評
重松清さんの著書に『哀愁的東京』という小説があるが、本書を漢字一文字で現すなら、「哀」だろうな、と思う。
本書に収められた10篇の物語は、どれも切なさが漂う。それは、家族ほど強い結びつきがあろうとも、人と人との間にはお互いを理解し合えない溝があることに、改めて気づかされるからだ。
表題作でもある「千年の祈り」のタイトルには、互いが会って話すには長い年月の深い祈りがある、という意味が込められている。つまり、それほど長く真剣に祈らなければならないぐらい、他者と心を通わせるのは難しいものなのだ。離婚した娘を案じて中国からやって来た父親と、アメリカで自分の生活を営む娘。父親が娘のことを思えば思うほど、皮肉にも親子の距離は開いていく。
「市場の約束」の独身女性は、婚約者と親友に裏切られても、周囲からどんなに噂されても、自分がした約束を頑なに守り続ける。だが、母親でさえも彼女の信念を理解できない。「あまりもの」のおばあさんは、小学生の男の子に恋をし、精一杯の愛情を注ぐが、相手はその気持ちに気づくことすらない。「縁組」の少女が思いを寄せるおじさんの心を占めるのは母親であって、少女ではない。
何か辛い目に遭った時、「誰も私の気持ちを分かってくれない」と悲嘆にくれる人がいるが、それは当たり前のことである。他者の心をすべて理解することなどできない。もし「できる」という人がいるなら、それは傲慢だと思う。
分かり合えない部分があるからこそ、どうにかして相手の心に触れたいと願う思いが美しいのだ。そして、一瞬でもお互いの心が通じ合った時に、この上ない喜びで満たされるのだ。
作者は中国生まれで、英語で書かれたデビュー短編集の本書は、フランク・オコナー国際短篇賞はじめ、数々の文学賞を受賞している。最近、英語を母国語としない作家の活躍が目覚ましい。ただ、他の作家に比べてイーユン・リーは、物語の舞台を中国に据え、祖国への思い入れも強いように思える。にもかかわらず、なぜ敢えて中国語でなく、英語で創作するのだろうか。
作中、どうして自分には無口なのに、アメリカ人と英語で話す時は饒舌なのか、と責める父親に、「自分の気持ちを言葉にせずに育ったら、ちがう言語を習って新しい言語で話すほうが楽なの。そうすれば新しい人間になれるの (P.241)」と反論する娘の言葉は、そんな疑問に対する作者の答えにもなっているのかもしれない。
作者は、立場や性別や年齢の異なる人々の孤独をそっと暴き出す。落ち着いた文体なのに、ひとつひとつの短篇はずっしりとした重みをもっている。特に、町そのものを語り手にして、宦官の時代から毛沢東の死去までを背景に描いた「不滅」は、長篇並のスケールの大きさ。「中国四千年の歴史」とよく言うが、中国を語るには数百年・数千年のスパンで見てちょうどいいのかもしれない。
次回作は文化大革命直後の中国を舞台にした長篇になるそうだが、短篇でこの濃さなのに、長編では一体どうなってしまうのだろう。私の好きな作風ではないが、今後が気になる作家である。[Amazon]
アメリカ(中国出身):篠森ゆりこ・翻訳
A Thousand Years of Good Prayers: Stories
Yiyun Li

※本書は、本が好き!経由で献本していただきました。

千年の祈り

「千年の祈り」イーユン・リー著
イーユン・リーの紡ぎだす小さな物語は、中国に無数にちらばっている誰も見向きもしないささやかな暮らしと今にも消えそうな人生を、そっと手の中で見守るような雰囲気が漂う。しかし、その静謐な物語の底には、中国という大国の歴史と政治が、人間の営みなどあっというま…