『小学五年生』重松清

小学五年生少年は、小学五年生だった。

こんなプロローグで始まる17の物語。主人公はすべて、小学五年生の男の子。40代の中年男性と10歳前後の少年を主人公にした小説は、重松清さんの十八番といえるだろう。

大人になると、年齢が離れていてもそれほど気にならないのに、十代の時は、学年が一年違うだけで大きな差があったものだ。
重松さんは、小学四年生でも六年生でもなく、なぜ五年生を主人公にしたのだろうか。
私の記憶を辿ってみても、クラスの雰囲気が微妙に変化したのは、この頃だったと思う。これまで一緒に遊んでいた男子と女子が距離を取るようになり、中学受験を決めた子は塾に通い始める。少しずつ、「高学年」としての自覚も芽生えてくる。子どもに見られたくないけれど、大人になる余裕もない。そんなジレンマを抱え始める時期が、小学五年生なのかもしれない。

ここには、友だちや家族との別れ、性の芽生えといったものに戸惑いながら、家庭や学校の中で懸命に生きる少年たちの姿がある。
はじめての文学 重松清 (はじめての文学)
ところで、『はじめての文学 重松清』という本には、本書から「ライギョ」「タオル」の2篇が選ばれて収められている。そこで読んだ時はいいお話に思えたのに、なぜか『小学五年生』という一冊の作品集で読むと平板な印象を受けて、さほど心に残らなかった。
少年たち一人一人に寄り添うようにして描かれた、いい物語である。けれど、環境や事情の異なるさまざまな少年を主人公にしているものの、ここには結局、一人の少年しかいないように感じるのだ。多分、17人の「少年」を同じ名前にしても、違和感なく読めるだろう。だから、一同に並ぶとすべて同じ少年の物語に思えて、次第に飽きてくるのだ。

小学五年生の中には、のび太もいれば、ジャイアンもいるし、スネ夫もいる。私みたいな冷めた子どもだっているだろう。設定はバラエティに富んでいるが、キャラクターとしてはどれも一緒なのが物足りなかった。
作品集としてまとめられた本書より、なにか、アンソロジーの中の一篇として読む方が楽しめるのかもしれない。
重松清さんの作品では、「カレーライス」という短篇が小学校の教科書に載っているが、本書に収められた物語を掲載するなら、「小学五年生 国語」だろうな、やっぱり。[Amazon]

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