『魔使いの呪い』ジョゼフ・ディレイニー
- ジョゼフディレイニー
- 東京創元社
- 2520円
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書評
「決して暗くなってから読まないこと」
という帯に書かれたコピーを前作同様無視して、丑三つ時に読んでしまった。ただ、この作品は皆が寝静まった夜更けに読むのがふさわしいと思う。
本書は、『魔使いの弟子』に続く第二巻となる。
舞台は、古代の悪霊・ベインに支配された大聖堂の町。魔使いとトムは、そこで幅をきかせている魔女狩り長官と神父たちと対峙することに。
前作を読んだ時も思ったのだが、この「魔使い」シリーズ、絶対タイトルで損をしている。「弟子」「呪い」「秘密」「闘い(Battle)」。さんざん使い古された魔法ファンタジーのタイトルに、二の足を踏む人は少なくないだろう(私がそうだった)。
けれど、この作品は、皆が想像するような魔法モノとは少し違う。解説で上橋菜穂子さんが、「一筋縄ではいかないファンタジー」と書いているのは、言い得て妙である。ストーリーは、“魔使い”と呼ばれる人間が、知識と道具で魔女や悪霊に立ち向かっていく、というもの。こう書くと、「やっぱりよくあるファンタジーじゃないか」と思われてしまうのが分かるだけに、なんとも歯がゆい。
確かに、「魔使い対魔物」という対決の構図や、主人公のトムが修行を積み、勇気をふりしぼって敵を退治していく姿は、「よくあるファンタジー」である。
ただこの作品は、トムたちが倒すべき敵は何者なのか、そもそも何が「善」で何が「悪」か、ということを問い直しているのがすごい。
登場人物たちは、単純に「善悪」の基準で線引きすることができない。その二つの間で揺れ動く、矛盾を抱えた存在なのだ。何かのきっかけで、そのどちらにも引っ張られる可能性がある。作者はそれを、トムの母親や友だちのアリスなど、女性キャラクターをうまく用いて表現している。
私は、いわゆる「ヒーローもの」と呼ばれる物語が、あまり好きではない。
敵は本当に「悪」なのか?相手にも自分たちの「正義」があるのではないか?そもそも、主人公に倒す権利なんてあるのか?そういった疑問を省略して、当然のように主人公が「正義」の名の下に敵を退治することに抵抗があるのだ。
本書に好感が持てるのは、この疑問にまず向き合っているところ。魔使いが魔法を使わず、知恵とありふれた道具と勇気で敵を退治する、という設定も興味深い。彼らは日々学び、訓練を重ね、迷いながらも心を強くもって襲い掛かる相手と戦う。
例えば、「死んだあとは無が広がっているだけだ」と脅かすベインに対して、トムは毅然と言い返す場面がある。
「死んだあと、何もないなんて、信じない。ぼくには魂がある。もし、人生を正しく生きれば、ぼくはなんらかの形で生きつづけるはずだ。きっと何か残る。無なんて信じるものか。そんなこと、絶対に信じない!」(P.196)
トムはさまざまな体験や人との出会いを通して、自分の頭で考え、ひとつずつ答えを見つけていく。それと対照的なのが、ベインに易々と操られてしまった司祭たち。彼らは口では「神」を敬いながらも、その実、心がなく、何が大切なのか考えることがなかった。少年と司祭の姿に学ぶことは多い。
続きものなので現時点で判断できないが、前作より確かな手応えを感じる。ファンタジーに食傷気味の人こそ、読んでほしい作品である。[Amazon]
イギリス:金原瑞人/田中亜希子・翻訳
Spook’s Curse (Red Fox)
Joe Delaney

※本書は、本が好き!経由で献本していただきました。

魔使いの呪い

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