『たすけ鍼』山本一力
舞台は、天保年間の深川。
ここに、“ツボ師”の異名を取る凄腕の鍼灸師がいた。還暦を迎えてなお矍鑠としており、日々多くの患者たちの治療にあたり、子どもたちに自分の技術を教える寺子屋も開くというパワフルさ。全国の還暦世代に活を入れるかのような、ニューヒーローの登場である。
本書は、この鍼灸師・染谷(せんこく)を中心にして、町人や船頭、川並(いかだ乗り)、大工、芸者など、深川で暮らす市井の庶民の姿を生き生きと描いた時代小説である。山本一力さんの“深川モノ”が好きな人は、安心して身を委ねられる一冊である。
さて、物語は、染谷が鍼灸治療を通して、さまざまな人々と出会い交流を深めていく、というもの。
江戸時代の鍼灸師が主人公、さらに「鍼一本、灸ひとつ―人助け、世直しいたします!」という本書のコピーを読めば、かの有名な「藤枝梅安シリーズ」を思い浮かべる人は少なくないだろう。もっとも、こちらは文字通りの「人助け」である。
鍼灸師・染谷の巧みな腕を魅せるひとつひとつのエピソードもいいが、やはり一番の読ませどころは、大店・野島屋の主と染谷の交流にある。「医は仁術」という師の教えを実践する染谷の姿勢に触発されて、野島屋仁左衛門は、「本当に大事なものは何か」を考え始めるようになるのだ。
かたや、「金儲け」を第一に考える商売人。かたや、「人助け」を自らの使命と自覚した鍼灸師。一見相容れない両者が、次第に立場を超えて心を一つにし、その熱い思いは周囲にも波及していく…。
最初はほんの小さな一滴に過ぎなかったものが、徐々に水量を増し、とうとうと流れる川となり、やがて大海原に辿り着く。深川で暮らす染谷たちの姿が、「深川」そのものの流れと重ね合わさる。読後、心にあたたかいものが広がる作品である。
ただ、醤油問屋・野田屋の揉め事が、未解決のままで終わっているのが気になる。続きものなのだろうか。
あと、細かいことを言えば、染谷の鍼灸治療場面のほとんどが、(得意としている、という記述があるとはいえ)お灸によるものであることには違和感があった。それなら、「たすけ灸」というタイトルにすればいいのに。[Amazon]



コメントはまだありません。