『ブルーバック』ティム・ウィントン
「三寒四温」と言われるが、まだ寒い日が続く。先日は、厳しい冷え込みに加え、ものすごい突風が吹き荒れた。まっすぐ歩いているつもりなのに横へ横へと流されていく。その上、土埃、花粉、黄沙とも分からない異物が舞い散って目がかすみ、散々であった。
その反動で、いや、こんな時期だからこそ、南の海を舞台にした爽やかな物語を読みたくなる。
本書は、オーストラリアの入江で暮らす親子の物語だ。10歳のエイベルの父は幼い頃に亡くなり、母親のドラが漁業で生計を立てながら育てている。
ある日エイベルは、一匹の巨大な青い魚に出あう。彼はその魚に「ブルーバック」と名づけ、海での日々を楽しんでいた。都会の学校へ進学し、海洋生物学者となっても、いつも海への愛情と探究心を胸に抱き続けているエイベル。しかし、変わらず海を愛するエイベル親子とは関係なく、故郷の環境は次第に変化していく。
120ページ足らずの児童書なので、すぐ読める。上に書いたあらすじを見れば分かるように、少し読めば展開や結末もだいたい予想できる。私はさしたる思いもなく、パラパラとページを捲っていた。
ところが、終わりにさしかかった場面のエイベルの言葉に、衝撃を受けた。
今までずっと、ぼくはひたすら海について知りたいと思ってきた。いろんなところへ行って、研究して、講義をして、社会から認められるようになった。でもね、それでもまだ、海をわかっているのは母さんのほうなんだ。(P.108)
この作品は、エイベルの視点で語られている。けれど、光が当てられているのは、むしろ母親のドラの方なのだ。これは、母親賛歌の物語でもあるのだ。その考えに至って最初から読み直してみると、世界が一変する。
夫のいない悲しみをこらえ、息子を育てるドラ。息子が巣立った後の寂しさや、さまざまな障害にじっと耐え、故郷の海を守り抜くドラ。いくつものエピソードが、彼女の芯の強さを浮かび上がらせ、心の深いところまで響いてくるのだ。
そういえば、「海」という漢字には、「母」という字が入っている。もっといえば、フランス語やドイツ語でも「海」は女性名詞である(スペイン語は置いておいて)。
「生まれる前からダイバーだったんだからね」とは、ドラの言葉。
母親のお腹のなかでゆっくり育まれた生命は、再び母なる海へと帰っていく。タイトルの「ブルーバック」は、エイベルが背の青い魚につけた名前だが、「back」には、「戻る」という意味も込められているのではないだろうか。
生命はととぎれることなく続いていくのだ、と感じさせられる一冊である。[Amazon]
オーストラリア:小竹由美子・翻訳



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