『寺田屋騒動』海音寺潮五郎
幕末史上起こった二つの事件の現場として、後世にその名を留めることになる一軒の船宿(旅館)がある。
京都の伏見にある「寺田屋」である。ここで、1862年(文久2年)に薩摩過激派と藩主の命を受けた使者たちが切り合い、1866年(慶応2年)に坂本竜馬が襲撃された。
本書は、「寺田屋騒動」と呼ばれる、1862年に起こった薩摩藩の内紛を取り上げた史伝である。
実はこの事件を薩摩藩の「内紛」と書いていいものなのか、迷った。というのは作者の筆は、単なるお家騒動に留まらず、この「寺田屋騒動」が幕末維新全体に与えた影響まで言及しているからだ。
仲間同士が相討つことになる惨劇は、なぜ起こったのか。事件の真相に迫るため、作者はまず、「朝廷」と「幕府」という二つの権力が両立する特殊な構造を解説することから始める。
また、事件の鍵を握る島津久光の人となりや、藩主になるまでの経緯に多く割かれているので、当時の薩摩藩の状況がよく分かる。とともに、西郷と大久保という二人の人物の対比もされているのが、興味深い。両者はリーダーとして周りを引っ張るイメージが強いが、本書を読むと、むしろ血気盛んな志士たちの手綱を引き締め、抑えることに苦心している。不幸にも暴発してしまったのが、寺田屋での顛末だったのだろう。
作者は、数世代前の藩主・重豪(しげひで)のことを、「生れ時を間違えた、不運な英雄の一人」と評しているが、それは久光にも当てはまるのではないか。
兄の斉彬に比べて低く評価されがちだが、頭の良い彼は、太平の世であれば名君と謳われたかもしれない。久光の振る舞いには、偉大な兄への劣等感や、藩主として威厳を確立しようとする焦りが感じられる。
最後に書かれた、寺田屋騒動その後の出来事を本書で初めて知った。「この事実は、薩摩藩の幕末維新史における最大の汚点です。」との作者の言葉どおり、陰険なものである。後の、錦の御旗を掲げる姿が、いかにまやかしであったか、この一点で分かるだろう。
ところで、「長州と手を組んでクーデターを謀る薩摩誠忠組の動きは、長州嫌いの久光の怒りを買った」との本書の紹介文は、作者の説によれば間違っている。
倒幕の意思のなかった久光は、薩摩の尊王攘夷派を長州藩が煽ったから怒ったのだ。つまり、この事件をきかっけにして久光の長州嫌いが始まったのである。端的にまとめようとしたのだろうが、誤解を招く表現だと思う。
重箱の隅をつつくような指摘をするのは、これこそが、作者が「寺田屋騒動」を通して訴えていることだからである。事件を契機に薩長の反目が生まれ、その結果として幕末維新史を複雑で困難なものにした。だから薩長の仲を取り持った坂本竜馬の功績も光るのだ。
学生時代、歴史の授業になんの興味ももてなかった私が歴史を語るのはおこがましいが、「何年に何があった」と、ひとつひとつの出来事を追っていった上で、それが歴史の中でどう位置づけられるのか、全体の流れで捉え直す視点が大事なのではないだろうか。[Amazon]



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