『大好きな本 川上弘美書評集』川上弘美

大好きな本 川上弘美書評集川上弘美、初の書評集である。
え、まだ本になってなかったんだ。新聞や文庫本の解説など、あちこちで目にしていたから、既に一冊読んだ気になっていた。
本書は二部構成になっており、一部では新聞紙上に書いた書評を、二部では文庫本や全集の解説文を収録している。10年という年月をかけて集められた書評からは、読書のよろこびがたちのぼってくる。

書評本を書評するのは、なんだか妙な気分である。が、拙いなりにも書評(らしきもの)を書いている身だからこそ、他人の書評は気になるものなのだ。
読書メモと違って書評というのは、読み手の存在を強く意識するものだと思う。あらすじや読みどころを書き、自分の感じたことを文章化するのは、思考の整理という目的もあるだろうが、本のおもしろさ(ときには、つまらない本に対する不満も)を誰かに伝えたい、という意思が働くからである。
私はバイリンガルではないが、書評を書くことはある種、翻訳に通じるものがあるのではないだろうか。読書―なかでも小説を読むことは、存外感覚的なものだ。文章の意味や作者の意図を考えるのは後づけの理屈で、まず人は書かれたものをただ感じている。しんと静まりかえった空気を。秘密めいた妖しさを。ごちゃごちゃして何がなんだか分からない感じを。
難しいのが、その感覚を文章に置き換えることである。だから書き手(私なんですが)は、「透明感のある」だの、「静謐な」だの、「重苦しい」といった言葉を使って、どうにかして「本の感じ」を伝えようとするのだ。

その意味において、川上弘美はじつに優れた翻訳家なのである。確かな文章力や豊富なボキャブラリーはもちろんだが、なによりセンスが良い。感受性、と言い換えてもいいだろう。「ほら、こんな感じ」と、新鮮なままを取り出してみせてくれる。
あるときは、

光あるところに必ずできる影、久世光彦はその影の奥の奥まで入りこみ、影の中に蠢く魅力的な幻妖の類を光の中に持ち帰り、開いてなめしてわたしたちの前に示してくれるのだ。(中略)たとえばむかしむかし、応接間で感じたあの感覚と、同じ種類の。(P.38)

という文章で。
またあるときは、

河野多恵子の作品を読むときにいつも思うのは、「すり足」という言葉である。足うらを床から離すことのない静かな歩み(P.47)

という文章で。
すべてが優れているとはいい難いが、本を素直に読んで、それをごくさりげなく表現できる人だな、と思う。伊藤比呂美の作品を「著者の詩や文章は、いつもすごくいろっぽくて、(中略)いいふうにべとべとしていて、きもちよくて、ずっと舐めていたくなるような言葉からできている」(P.185)と評した文章には、「そうそう、そうなんだよ!」と思わず膝を打った。他人の書いた本について語っているのに、本書にあるのはまぎれもなく川上弘美の作品なのだ。

にぎやかな天地 上
ところで書評を読むとき、自分の好きな作品がどう評価されているか、結構気になるものである。私が真っ先に読んだのが、宮本輝の『にぎやかな天地』の書評なのだが、これが興味深い内容だった。
川上弘美は氏の小説の愛読者だったのだが、自分の作品を「しょせん寓話」「評価しない」と辛辣な言葉で選評されて以来、一行も読めなくなったのだという。ようやく読めるようになるまで10年。作家の厳しさを垣間見る思いがした。[Amazon]

  1. 川上弘美さんはとても好きな作家なのですが書評集が出ていたとは知りませんでした。確かにエッセイなどの中でもしばしば好きな本について語っている方なので、割と書評はたくさん読んだ気になってますね。文庫の解説も多いですし。
    好きな作家はたくさんいるんですが、川上さんはその中でも特にこの人はどのような本が好きなんだろうかと日常をのぞいてみたくなる作家なので、早速買って読んでみたいと思います。

    • ぐら
    • 2008年 4月9日 11:24pm

    10年分なので、けっこう壮観ですよ。
    こうしてまとめて読むと、川上弘美の本の好みがわかるような気がします。
    彼女の作品が好きなら、ここで紹介されている本を読みたくなるはず、です。
    実をいえば、わたし、買ってしまいました。
    なにしろ、「たいそう手放しにほめている」(←あとがきの著者の言葉です)ものですから。

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