『犬身』松浦理英子
犬が好きだ。姿を見かけると、心拍数が上がってしまう。
心ゆくまで犬と触れ合いたい、と願う犬好きは多い。しかし、本書の主人公は思うだけに留まらず、自分が犬そのものになってしまうのである。
初めて松浦理英子の作品を読んだが、いっぷう変わった小説だ。比喩や隠喩を用いて読者を煙に巻く小説に対して、真っ向勝負を挑んでいるかのようである。
『ファウスト』をモチーフにした魂の契約のくだりから、通俗的な家族問題に至るまで、捉えようによってはさまざまに表情を変える作品であるが、私は至極まっとうな恋愛小説と思って読んだ。
ただ、「恋愛」と言い切ると、この作品を狭めてしまうことになりかねない。ここで描かれるのは、広く関係や情愛といったものである。
犬のように、ただ一人の主人を愛したい―。そう願って、人間の姿をあっさり捨て、犬として生きる道を選んだ主人公の八束房恵。種も性別も越えた関係にいささか戸惑うが、なるほど、こんな愛のかたちもあるのか、と不思議に納得させられる。
房恵は、飼い主の玉石梓と触れ合うことに無上の喜びを感じている。一見、同性愛に思えるのだが、この感情は犬の身になったからこそ味わえるものなのだ。人間であれば、両者の間にこのような強い結びつきは生れなかっただろう。そこが、おもしろい。
「何なんでしょうね、犬と飼い主の関係って。友達のようでもあり、きょうだいのようでもあり、親子のようでもあるけど、人間同士とは何かが決定的に違う。種が違うんだからあたりまえといえばあたりまえですけど。でも、種が違うから隔てられてるという気はしないんです。むしろ種の違いがうまく作用して、強く惹き合い結びついていると思う。奇跡のように相性のいい組み合わせですよね、犬と人間って。」(P.460)
種の異なる房恵と梓が深い愛情で結ばれているのに対し、血の繋がった梓の親子・兄妹関係はいびつに歪んでいる。前者の関係が好ましいものであるほど、後者の異様さが際立つのだ。「犬畜生にも劣る」という言い回しが皮肉に思えるほどに。
犬を愛する者の共感を呼ぶ小説であるが、逆に犬好きの私としては釈然としないものも感じた。房恵は犬が好きなのか、梓が好きだから犬になったのか、というところがどうも曖昧なのだ。
事実、房恵は犬化してから、あれほど好きだった他の犬と戯れることはなく、梓ひとりを一心に見ている。犬の、主人に忠実という特質だけを取り上げるのは無理があるのではないだろうか。
物語が進むにつれて、房恵の犬好きの側面が薄れていくのが少し残念に思う。「房恵→フサ(犬)」の変化にあわせて、房恵をたんなる語り手にして梓の家族関係にクローズアップしていく、と考えればおもしろい演出なのだろうが。[Amazon]



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