『棒がいっぽん』高野文子

棒がいっぽん (Mag comics)1コマ1コマを大切にしたくなるような漫画がある。先を急ぐのではなく、立ち止まったり戻ったり、ときには寄り道しながら、ゆっくりゆっくりページをめくることが心地よい漫画がある。
それが高野文子の漫画ではないだろうか。

『棒がいっぽん』には、6つの作品が収められている。
最初の「美しき町」から読み始めて、まず目に留まるのが構図の素晴らしさ。横から斜めから上から、寄ったり引いたりと、さまざまな視点がじつにダイナミックである。なかでも、見開きで描かれた町のパノラマは圧巻だ。これは文章だけではできない、また映像とも違う、漫画ならではの表現だろう。
とはいえ、ストーリーはいたって地味である。とりたてて何かが起こるわけでもなく、あっと驚くラストが待っているわけでもない。淡々とした日常があるだけだ。
「バスで4時に」は、バス発着所から訪問先の家までの、時間軸にすればごくわずかな、ドラマチックでもなんでもない場面を描いている。それなのに、どうしてこんなにおもしろいのだろう。高野文子は、人が普段気にも留めずにそのまま忘れていってしまうような日常を掬い取り、物語に仕上げるのが抜群にうまい。

そう、生きていくということは、忘れていくことでもある。よほど印象的な出来事でもないかぎり、意識の奥底に沈んでそのまま浮かび上がってくることはない。
それを引っ張りあげようと試みたのが、「奥村さんのお茄子」である。ちなみに、タイトルの「棒がいっぽん」は、この作品の中の歌から取ったもの。
作品の質の高さを考えれば本書の値段はかなりお得だが、私はこの一作だけでも読む価値は充分あると思う。あまりに素晴らしかったので、何回も読み直した(一度では理解できなかったということもあるが)。
25年前のお昼に何を食べたか、と突然見知らぬ女性から尋ねられた男。記念日でもないのだから、当然思い出せない。女性の正体や質問の真意などは物語が進むにつれておぼろげに分かってくるが、別段ミステリーというわけではない。

人生は、一日一日、一瞬一瞬の積み重ねである。見過ごし、ほとんど覚えていないような瞬間に、当人でさえ気づいていないさまざまなドラマが生まれている。そんな場面をひょいっと掬い上げたこの作品は、「普通の日」なんてほんとうはないことを教えてくれる。
読み終えた後、炊飯器や花瓶、鉛筆立てといったものに至るまで、何かの使命を帯びた存在に見えてくるからおもしろい。随所に使われる小道具の可笑しさが、絶妙。[Amazon]

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