『縄文の思考』小林達雄
「歴史」でもなければ、「行動」でもない。縄文の「思考」である。
縄文時代といえば、狩猟や木の実などの採集で一日を過ごし、食糧確保に汲々としていたイメージが強いが、縄文人たちになにかを思索するゆとりがあったのだろうか。文化といっても、後に農業社会を築いた弥生時代よりはずっと貧弱なものだったのではないだろうか。
そんな私の固定観念を鮮やかに打ち砕いてくれたのが、本書である。
長年考古学研究に携わってきた著者は、遺跡から縄文人たちの心や哲学思想に迫っていく。発掘捏造騒動で考古学に対する信頼が著しく低下したが、残されたものからここまで読み解くことができるのか、と目から鱗が落ちる思いがした。
例えば、その名前の由来となった縄文土器について。
縄文土器は日常的に使うものなのに、大仰な突起がかぶせてあるなど、容器としては機能的とはいえないデザインになっている。なぜか?そこに、縄文人の詩情が表現されていると著者は推測する。土器はたんに食べものを煮炊きする容器ではなく、彼らの世界観を映し出したものというのだ。
ほかに、入手も加工も難しいヒスイ製玉に執着した理由や、完成に時間のかかる記念物の造営を支えた哲学など、本書で次々と伝えられる縄文人たちの豊かな精神世界の可能性に驚くことしきりであった。
一昨日食べたものすら覚えていない私にとって、1万年近くも前に生きていた人々に思いを馳せるなんて、気の遠くなるような話である。
それにしても、なぜ縄文時代なのだろうか。ここに著者は、遊牧から定住への大転換を見る。定住生活をきっかけに、自然と一線を引いた人間意識をもつようになったと指摘するのだ。
縄文人たちを知ることは、じつは私たち自身を知ることなのかもしれない。そして、彼らの心を見つめることは、日本文化のルーツを探ることなのかも。本書は、縄文人たちの行動の奥にある内面に迫った良著である。[Amazon]



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