『巨匠とマルガリータ』ミハイル・ブルガーコフ

巨匠とマルガリータ (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-5)モスクワの公園で、神の実在性を論じ合う二人の文学者。
そこに外国人らしき怪しげな男が現れて、彼らの会話に割り込んでくる。<教授>と名乗るその男が自信たっぷりに「イエスは存在していた」と話し始めるところで場面は一転し、捕らえられたイエスを尋問するローマ総督ポンティウス・ピラトゥスが登場。舞台は再び公園に戻り、やがて<教授>の予言どおり衝撃的な出来事が次々と起こっていく。
<教授>の正体が悪魔であることはすぐ明らかになるものの、この悪魔ヴォランドが4人の手下を従えてモスクワ中を大パニックに陥れる乱暴狼藉ぶりは、常軌を逸している。とりわけ、文学・演劇関係者への攻撃はすさまじい。非業の最期を遂げる者、精神病院に送り込まれる者、遠くへ飛ばされる者など、執拗なまでに痛めつけられるのだ。

『巨匠とマルガリータ』執筆当時のソ連は、スターリンの恐怖政治が敷かれていた。自由に表現できない時代は、作家ブルガーコフにも重くのしかかり、彼の作品はことごとく発禁処分・上演中止の憂き目を見る。たしかに、悪魔の姿を借りて社会を痛烈に皮肉る作品を書くような彼の存在は、為政者にとって煙たいものだったに違いない。
本書の根底には、自分の作品を認めない文学界、ひいては社会全体に対するブルガーコフの怒りが脈打っている。出版の目処のない作品を、約10年にもわたって推敲を重ねながら書き続けるなんて、怨念に近い執念を感じてしまう。むしろ発表できなかったからこそ、書けた作品なのかもしれない。

とはいえ、社会を告発するに留まらず、<巨匠>という一人の作家を登場させたところにこの作品のすごさがあると思う。自暴自棄に陥っていた<巨匠>は、恋人マルガリータの愛と悪魔の力を借りて再び立ち上がる。救い出すのが悪魔というのは皮肉だが、<巨匠>が解放されたとき、ピラトゥスの魂もまた救われるのだ。
思うにブルガーコフは、こんな時代はいつか終わり、自由に表現できる日が来ることを信じていたのではないだろうか。<巨匠>の原稿が灰の中から甦ったように、文学はけっして滅びることなく、抑圧された人々の魂を解放する力があることを信じ続けていたのではないか。
事実、ブルガーコフを認めなかった当時の人々は皆とうに死んでしまったが、彼の作品は21世紀の今なお生き続けているし、これから先も読み継がれていくだろう。[Amazon]

ロシア(ウクライナ出身):水野忠夫・翻訳

巨匠とマルガリータ [DVD}

    • piaa
    • 2008年 7月1日 10:55pm

    「巨匠とマルガリータ」は傑作だけあってすでに3つの訳で出ていますが、河出の世界文学全集にも納められてこの傑作が多くの読者の目に触れるのは素晴らしい事です。
    私は群像社版で読みました。いろんな意味で強烈な作品ですよね。
    私はゲーテの「ファウスト」との関連性を感じたのですが、他にも作曲家の名前が次々に現れます。特に冒頭で非業の死をとげるベルリオーズはフランスの作曲家の名前で、彼の名作「幻想交響曲」は「ファウスト」を下敷きにしていますし、この世界初の標題音楽とされる曲のストーリーの中で彼自身が断頭台で処刑されてしまうのですが、作中人物のベルリオーズの死に様もそういうことまで踏まえて織り込んであるんですね。
    ロシア・ソヴィエトにはこういった虐げられた名作が数多いと思われ、これと並んで双璧と思われるのがストルガツキー兄弟の「滅びの都」です。ぜひこちらもご一読を

    • ぐら
    • 2008年 7月2日 8:45pm

    群像社は高くて手が出なかったので、今回出版されてよかったです。
    「巨匠とマルガリータ」って、第一稿の原稿では〈巨匠〉も〈マルガリータ〉も登場しなかったと書いてあってびっくり。最初はどんな内容だったのか、気になります。
    それにしても、ベルリオーズ、そんな背景があったとは!
    何度も「作曲家と同じ名前の」と説明が入るのを、「もう、分かったから」と突っ込んでいたわたしって一体・・・。
    ブルガーコフさん、ごめんなさい。わたしが無知でした。
    ファウストはもちろん、他にも古典を意識した作品ですよね。
    ところで、マルガリータが人妻という設定にはなにか意味があるんでしょうか?
    考えてみれば不倫なんですよね~、このふたり。ちょっと複雑です。

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