『山猫』トマージ・ディ・ランペドゥーサ

山猫 (岩波文庫)長靴の爪先にある三角形の島・シチリア。
古くはローマ市民を震え上がらせたハンニバルで有名だが、本書はイタリア統一に揺れる時代を描いた物語だ。今でこそ「イタリア」と呼んでいるが、この頃はまだ7カ国の集合体に過ぎず、統一国家が誕生したのは1861年になってから。シチリアは、両シチリア王国が治める独立国家だった。
・・・と、私のように昔習った世界史の記憶を必死でたぐり寄せなくとも、巻末の解説を参照すればこと足りる(後で気づいた)。この作品では歴史は背景に過ぎず、物語の中心となるのは名門貴族サリーナ家の当主・ドン・ファブリーツィオ公爵である。彼の目から見たシチリアや人々、胸に去来する思いが情感たっぷりに描かれた作品なのだ。半世紀にわたる一族の興亡は、ガルシア=マルケスの『百年の孤独』を彷彿とさせる。

タイトルの〈山猫〉とは、このサリーナ家の紋章のこと。ここでは、公爵自身を指す言葉としても使われている。かつて生命力にあふれ威厳に満ちていた〈山猫〉は老い、変わりゆく祖国・滅びゆく体制を静かに見つめ、退場の時が来たことを悟る。
それとは反対に意気揚々なのが、新興階級の村長・セダーラや、貴族でありながら改革に身を投じる甥のタンクレーディといった新しい力だ。セダーラの娘・アンジェリカとタンクレーディの結婚は、新旧勢力が入り乱れる混沌とした時代を象徴しているといえる。

『山猫』は「死」が色濃く影を落とす作品で、物語全体に黄昏時のような哀愁が漂う。体制の死(滅亡)、国家の死、家の死、公爵の死。特筆すべきは、作者が「生」の中にも「死」を見ていることである。
なかでも、《義人の死》という絵の前で、公爵がタンクレーディとアンジェリカの二人と語らう場面が印象的だ。これは、絵に自らの死を重ね合わせた公爵の姿を描くとともに、希望に胸を膨らませる若者たちにも必ず訪れる死を予感させた場面なのだ。
他にも、生気みなぎり勢いあるものの中に「死」をみつめる描写が随所に散りばめられており、それがこの作品をいっそう味わい深いものとしている。本書は、「新旧勢力の交替」に留まらず、誕生したものはやがていつかは滅び去っていく、ということを描いているのではないだろうか。イタリア文学なのに、「諸行無常」という言葉がぴったりくる作品である。

敢えて不満を言えば、ガリバルディ上陸の50年後を描いた最終章は必要だったのだろうか。後日談は読み手の想像に委ねて〈山猫〉の死で終わった方が、余韻があってよかったと思うのだが。
ちなみに『山猫』は、ヴィスコンティ監督で映画化されている(というより映画の方が有名)ので、そちらも是非観たいものである。[Amazon]

イタリア:小林惺・翻訳

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