『夜の桃』石田衣良
期待しすぎたのがいけなかったのかもしれない。
たまたま観た俳句番組の中で、「いま、西東三鬼の俳句から取った『夜の桃』という作品を書いています」と作者が語っていたときから楽しみに待っていたのだ。
それなのに、なんて美しく官能的に性愛を描く男性作家なのだろう、と衝撃を受けた『娼年』のような冴えも、命を燃やし尽くすような恋愛を描いた『眠れぬ真珠』のような情熱も、この作品には感じられなかった。
「桃」とは、女陰であり、尻であり、女性そのものである。
物語のほとんどが濃厚な性描写で占められているものの、私にはむしろ淡白に思えた。セックスを描けば必ずしも官能的になるとは限らない好例である。描きようによっては、水を飲む姿や振り返るしぐさにもぞくりとする色気を潜ませられるのに、性描写の連続なんて芸がない。
なにも恋愛小説にエロスを求めているわけではない。けれど、この作品のテーマである「性」つまり「生」を描いたにしては、あまりに薄っぺらい。
45歳の主人公は、IT企業の社長。
貞淑な妻、美しい愛人、都内の一戸建てに恵まれ、仕事もプライベートも順調なのに、「これでいいのか」と自問自答せずにはいられない。そんな中年男性が20歳年下の少女のような女性と出会い、恋(というより、体)に溺れる。経験豊富な大人が、性の世界の奥深さを知って生きる力を見出していく。乱暴にまとめると、そんな物語だ。
「性」と「生」は、人間にとって切り離すことができない。ただ本書では、子孫を残す生殖行為としての「性」ではなく、もっと根源的な「生きる力」としての「性」を描いている。
言わんとするところは分かる。だがここからは、切実な焦りや生への執着が伝わってこないのだ。
石田作品の登場人物は都会的でスタイリッシュなキャラクターが多いが、本書ではそれが逆効果になっていると思う。みっともないぐらい一生懸命になってこそ、命を実感するほどの「性」に夢中になる人間の姿が描けるのではないだろうか。きれいにまとまり過ぎて、まるでリアリティがない。
致命的なのが、女性―なかでも主人公が虜になる早水千映―の言動である。これまで女性を描くのが上手い作家だと思っていたが、ほんとうは女のことなんて何も分かっていないのではないか。もっとも、男性の願望を表した小説としてみれば、いい出来なのかもしれないが。
とはいえ、ラストは女性を求めずにはいられない中年男性の性(さが)を感じられて良かった。エピグラフに使われた、西東三鬼の「夜の桃」の俳句がしんしんと心に沁みる。[Amazon]
中年や遠く実れる夜の桃 ~西東三鬼~



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