『スコルタの太陽』ロラン・ゴデ

スコルタの太陽 (Modern & Classic)殺人的な猛暑である。
実際、熱中症で亡くなる人がいるのだから、けっして大袈裟ではない。こう暑い日が続くと、頭がおかしくなりそうだ。
暑さは人のやる気を削ぐに留まらず、狂気に走らせるのだろうか。太陽が照りつける不毛な土地で貪欲に生きた一族の小説を読んで、そんなことを思った。

物語は、15年の刑期を終えた男が南イタリアのモンテプッチョ村に現れるところから幕を開ける。
男は意中の女を犯して満足したのも束の間、それが人違いだと知り自嘲気味に死んでいく。狂気と誤解から一人の男児が誕生。そこから、スコルタ一族の呪われた宿命との戦いが始まる。

暑さでへたっているときに、なにを好んでこんな作品を読んでいるのだろう、とふと我に返った。ストーリーは爽やかさとは程遠いし、燃えたぎる熱にあてられてどっと疲労感が押し寄せる。
ここに綴られているのは、本能のままに生をまっとうする誇り高い一族の歴史である。己に流れる血に突き動かされるかのように、貧困にあえぎながら汗を流して働き、命を終える。スコルタの者たちが内に抱える渇きを癒そうとすればするほど、狂気の炎はいっそう激しく燃え盛る。そこに、人間の業(ごう)を見る思いがする。
平々凡々と暮らす私としては、スコルタ家の壮絶な人生にあまり心が動かされないのだが、彼らの臨終には神々しいまでの美しさを感じる。彼らは皆、自分の最期を静かに受け入れ、崇高に死んでいく。幸福よりも不幸の比重が高い一族ではあるが、満ち足りた気持ちの中で迎える死に、救われるような気がするのだ。

作者ロラン・ゴデが、個人ではなく、一族という単位で物語を紡ぐのは、「永遠の生」というものを描きたかったからではないか。一人の人間の命には限りがある。だが、その精神が一族の次の世代へと引き継がれていくならば、命は永遠のものとなる。生死の流転を果てしなく繰り返す様は、まぎれもなく永遠の生である。
この作品は、スコルタ家の生命力が際立つ一方、〈口なし〉と呼ばれ死人のようだったカルメーラ婆さんが語り手を務め、墓場が重要なシーンとなるなど、「死」も強く意識させる。生と死の絶妙なバランスは、灼熱の太陽のもと、一陣の風が吹き抜けていくような感覚を呼び起こす。

ギリシア悲劇を踏襲した世界観、歯切れのよい力強い文体、人間への深い考察に、作者の力量を窺える。
ただ、この一族と私の血がまったく混ざらないのか、最後まで惹きつけられないまま読み終えてしまった。悪くはないが、ゴンクール賞を受賞するほどとも思えない。これなら、南米文学の方がおもしろい。文学的で、フランス人らしからぬ作風が受け入れられたのではないか、と偏屈な私は穿った見方をしている。再読すれば、また違った印象を受けるのかもしれないが。[Amazon]

フランス:新島進・翻訳

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