『フルーツバスケット(全23巻)』高屋奈月
主人公は、高校生の本田透。
幼い時に父親が病死、母親が交通事故で他界したため、自活することに。たび重なる不遇にもめげず、前向きで素直な女の子である(ほとんど天然記念物モノ)。そんな彼女が、ひょんなことから同級生の男の子の家に居候するところから動き出す物語。
美少年に囲まれたヒロイン、との設定はいかにも少女漫画的ではあるが、ここに“十二支の呪い”という悲壮感漂うエピソードが絡んでくるからおもしろい。
この作品、十二支のお話がモチーフになっているのだ。
十二支の動物たちはどうやって決まったのか。その中に猫が入っていないのはなぜか、というアレである。
透が関わることになった草魔家に隠された秘密。それは、それぞれの人間に十二支の物の怪が憑いていて、異性に抱きつかれるとその動物の姿に変身してしまうのである。動物になれるなんてなかなか楽しそうだが、十二支の彼らは各々鬱屈した思いを抱えて生きているのである。
こう書くと、かなりファンタジックな内容に思えるかもしれない。けれど、この作品の主眼は十二支の伝承を取り入れつつ、現実世界でもがき苦しみながら、それでも前を向いて歩いて行こうとする人間の姿を描くところにある。これと似たようなテイストの漫画では、『ふしぎ遊戯』があるが、あちらの方がファンタジー色が強い。
『フルーツバスケット』は、いくつものエピソードが重層的に織り込まれており、細部まで楽しめる作品である。
あちこちに張り巡らした伏線に収集をつけるのに、作者はさぞかし苦労されたことだろう。最後は勢いでくっついてしまったカップルがいたり、キャラがかぶっているものがいたりするものの、ひとりひとりにスポットを当て、誰もが主人公のように描き出す細やかさに好感が持てる。
ただ不満なのは、紫呉(しぐれ)と慊人(あきと)の人物造形。
紫呉は裏でいろいろ画策する割には、案外底が浅かったし、「きみたち若者は…」と言うセリフには「いやいや、あんたも28歳なんだから若いって」と突っ込みたくなる。慊人にしても、これではただのヒステリックな寂しがり屋さんである。もっと圧倒的な力というか、吸引力のようなものを見せつけてほしかった。これが『幽☆遊☆白書』あたりの少年漫画だったら、対決シーンが入ってくるんだろうな。
キーマンとなる二人なのに、最後はいやにあっけない。このため、凡庸な印象で終わってしまったのが残念である。
それにしても、この世で人はどれだけのしがらみに捉われているのだろう。
親子。兄弟。友だち。男と女。
いくつもの要素が詰まった『フルーツバスケット』を読んで強く感じたのは、“関係性”というものである。
すっかり擦り切れた感のある言葉だが、人は一人では生きていけない。誰かを必要とし、誰かに必要とされなければ満たされない生きものなのだと思う。時にはその絆が重荷となり、時に悲痛なほどの切実さで人は他者を求める。
この作品は、大勢の個性豊かなキャラクターが魅力のひとつだ。一人でも十二分に存在感のある面々ではあるが、他の登場人物と関わることで、より生き生きと動き始めるのである。
余談だが、私は「とっもだち100人でっきっるかな~♪」というCMソングが子どもながらに苦手だった。100人の友だちよりも、たった一人の心を許せる親友がいればいい。喜びや悲しみを共に分かち合える誰かが一人でもいてくれたら、それはとても幸せなことなのではないだろうか。
この作品の登場人物たちがそうであったように。[Amazon]



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