『時のかさなり』ナンシー・ヒューストン

時のかさなり (新潮クレスト・ブックス)私の手元に、『京都時代MAP 幕末・維新編』なる一冊の本がある。
これは、幕末京都の地図の上に半透明のトレーシングペーパーに印刷された現代の地図が重ね合わされた、京都の変遷を俯瞰できる地図帳である。
京都観光にはお世辞にも実用的とはいえない代物なので、悦に入るのは歴史マニアぐらいかと思っていたが、関連本が数冊出ているところをみると売れ行きは上々のようだ(それとも歴史好きが多いのか)。二次元の世界とはいえ、時空を隔てた同じ場所を同時に眺められるというのは、なかなか楽しいものである。
なぜこんな話題から入ったかというと、この『時のかさなり』という小説を読んで私はこの地図帳と同じものを感じたからである。

四章からなる本書は、章を追うごとに世代を遡りながら、ある一族の60年にわたる歴史を映し出す。語り手をつとめるのは常に6歳の子ども。
2004年のアメリカ人少年から始まり、その父親のイスラエルでの少年時代(1982年)、カナダで過ごす祖母(1962年)と続き、最後に戦時下ドイツの曾祖母(1944年~45年)で幕を閉じる。世代と場所の異なる4人が、6歳という時でぴったりと重ね合わさるのだ。

この語り手を次々と変える小説形式は、物語に多方面から光を当てるのに効果的だが、それに加えて本書は「子ども視点」というところがミソである。
かなり大人びているのが気になるものの、6歳の子どもが見聞きし、受け取る情報にはおのずと限界がある。また、一族の年代記である本作は、敢えて各章一年足らずの出来事しか描かれていない。だから読み手は、大人が交わす会話の断片などをつなぎ合わせながら、空白の期間を埋めて真相に迫ってゆくのだ。
そうして薄紙を一枚一枚めくるように世代を遡るにつれて、過酷な運命に翻弄されてきた女性・エラの姿が徐々に浮かび上がってくる。最後まで読み終えてようやく、本文の前に附された系図の中で、曾祖母が3つの名前を持っている不自然さに合点がいくのである。

物語の背景にあるのは、ナチス・ドイツの「レーベンスボルン(生命の泉)」計画。
恥ずかしながら、ナチスの“生”の側面を本書で初めて知った(もっとも、見方によればこれも“殺”ではあるが)。
本書は一族の歩みを紐解くとともに、第二次大戦、キューバ危機、レバノン内戦、9.11後のイラク侵攻に至る歴史が取り上げられている。これを読むと、人類の歴史は争いの歴史なのか、と嘆きたくなる。

戦争は、人の運命を大きく狂わせ、消えることのない爪痕を残す暴力である。では、その戦争を始めるのは、一部の残虐な人間だけなのか?作者は、権力者たちの大罪を批判するに留まらず、すべての人間の心にある“悪”の萌芽をも見つめているように思う。残酷なネット映像を見て興奮したり、破壊的衝動にかられたりと、無垢に見える子どもの中に潜む残虐な心を、容赦なく描き出しているからだ。
とはいえ、人はただ己の“悪”に飲み込まれ、荒波にもがくだけのちっぽけな存在ではない。本書ではそれに打ち勝つ姿も描いているからこそ、読み手の心を揺さぶるのではないだろうか。

それにしても、普段何気なく使っている“言葉”というものの不思議さを感じずにはいられない。
歌詞のない歌で自分を解放するエラ。かたや、グーグル検索を駆使して日々ネットの海を泳ぎまわるソル。
ご存じの通り「Google」とは、10の100乗を意味する「googol(グーゴル)」をもじったものだ。世界中の情報を組織化する、とのグーグルの気概が伝わってくる社名だが、膨大な量の言葉に接する現代を表わしているといえるだろう。行き交う言葉はけっして美しいものばかりではない。人を貶め、害毒をまき散らす言葉のいかに多いことか。
言葉を自由に発することのできる幸せと怖さを、改めて考えさせられる一冊である。[Amazon]

フランス(カナダ出身):横川晶子・翻訳

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