『誰がために鐘は鳴る(上・下)』アーネスト・ヘミングウェイ

やっぱりいいなあ、ヘミングウェイ。
作家を好きになるというのは、恋愛に似ていると思う。恋は盲目。文学的価値や他人の評価なんて関係ない。好きなものは、好きなのだ。本作に関しては、冗長過ぎる感があろうが、ロバート・ジョーダンがマリアを「ぼくの兎さん」と呼ぶたびに鳥肌が立とうが、私のヘミングウェイ作品への思いは揺らぐことはない。むしろ、欠点すらも愛しく感じてしまう。
そんな人間が彼の作品を冷静にレビューするなど、どだい無理な話なのである。
ヘミングウェイって、ハードボイルドとセンチメンタルの間で揺れ動いている作家だと思う。
というより、ダンディに振る舞っていても、心の中ではメソメソと泣いているような感じ。彼の作品が苦手な人は、この感傷的なところが肌に合わないと言う。これはもう、好みの問題だろう。
私はといえば、男の頼もしい姿よりもふとした拍子にみせる気の弱さにぐっと心を奪われてしまうように、鉄橋爆破の任務に燃え、容赦なく敵を撃ち殺すロバートより、寝袋の中でマリアが来てくれるかどうか不安になりながら待っているちょっと情けない姿や、「人間は同時に戦争したり愛したりはできないんだ」と矛盾したこと(いや、主題に絡むセリフなんだけど)をしれっと言うところに、なんともいえぬ可愛らしさを感じるのである。
ヘミングウェイは、長篇より短篇小説の方が上手い作家だと思うが、ダイナミックな世界は長篇小説ならではの魅力。
ただ、以前映画を観たときはそれほど感銘を受けなかった。多分私は、ドラマチックなストーリーではなく、作家の紡ぐ文章やそこに漂うセンチメンタルな感情がたまらなく好きなのだと思う。例えば、こんな一文。
あたたかい、なめらかな肌をよせあっているのに、うつろで、胸がうずくようで、しっかりと抱きあった孤独。(上巻P.136)
シンプルなのに、噛み締めるほどに味わい深い文章である。パズルのピースがぴたりとはまったような小気味良さを感じる。
他に印象的なのが、マリアとの最後の夜。危険の伴う任務を明朝に控えた場面である。ここではたった1ページの中に、「いま」という言葉が40回以上使われている。およそ文法を無視した文章の連続だが、ロバートの切迫した状況や、限りある生命を精一杯生きようとする様が痛いほどに伝わってくるのである。
七十時間に、七十年に劣らぬほど豊富な人生を生きることは不可能ではない。もし、その七十時間がはじまるときまでに、そのひとの人生が豊富であり、また、そのひとがある年齢に達しているとすれば。(上巻P.319)
ここで描かれているのがたった4日(正確には4日に満たない)の出来事とは信じられないほど、中身の濃い作品である。もっとも、簡潔な文体といい、鮮やかな情景描写といい、小説としての完成度は本作より『武器よさらば』の方が上だと思うが。
おそらく意図的に描かれているのだろう、本作はロバートが腹ばいになる場面から始まり、再び腹ばいの格好で幕を閉じる。
ただ外見は同じでも、彼の内面は異なる。博愛精神と正義感からスペイン内戦に参加したロバートは、最後には恋人や仲間を守るため、といったより具体的な愛情をも抱くに至るのだ。悲劇的なラストの中にひとすじの光が見えるのは、そこに運命や人間に対するヘミングウェイの肯定的・積極的な姿勢を感じられるからだと思う。
人はみな、孤独だ。けれどその身は一人だけのものではない。他者と連帯し世界全体に献身するとき、その力はさらに大きなものとなる。個人の生命が損なわれることは、人類全体の損失になるのである。
その考え方と対極にあるのが、戦争だろう。人間をたんなる数や駒として捉え、傷つき動かなくなれば新たに補充する。そこでは命は軽んじられ、人間はちっぽけな存在でしかない。そんな人間性を否定する“悪”を鋭く見つめたのが本作なのではないだろうか。[Amazon]
アメリカ:大久保康雄・翻訳
For Whom the Bell Tolls
Ernest Hemingway





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