『ノック人とツルの森』アクセル・ブラウンズ
触れようとするのにするりとかわされ伸ばした手は空を切り、よく見ようとするのに靄がかかってぼんやりとしか映らない。そうしてただ、もどかしさばかりが募ってゆく。
本書を読んで、そんなことを感じた。そしてそれは、アディーナという少女が母のカーラに抱く思いそのものなのである。
外からガラクタを持ち帰っては、家中ゴミで埋め尽くしてゆくカーラ。
足の踏み場のない家、雪崩を打って押し寄せてくる木箱、むせかえる悪臭、カビの生えたパン、くすんだ洗面台。
そこで暮らす7歳のアディーナと弟のボルコは、そんな家を当然のものとして育った。ジャングルジムで遊ぶかのようにゴミの森をかき分けて動き回り、食事はバナナやパンで済ます日々。カーラは子どもたちに繰り返し言う。外は〈ノック人〉たちのいる危険な世界。絶対家の中に入れてはいけないよ、と。
本書は、いわゆる“ゴミ屋敷”で暮らす親子を描いた作品だ。最近テレビでよく取り上げられるようになったが、ドイツでも社会問題化しているという。
なによりゾッとするのは、ゴミ屋敷の存在よりも、子どもたちがその環境を“異常”だと気づいていないところにある。ガラクタを母の口癖である〈なんてきれいなの〉〈よく見てみなくちゃ〉〈とても捨てられないわ〉〈ああ、これは大切〉と宝物のように認識し、ゴミであふれかえる我が家を〈アーデルング・ハウス〉と洒落た名前で呼ぶちぐはぐさに、私は軽い眩暈を覚えた。
やがて小学校入学を機に、アディーナは少しずつ外の世界を知るようになってゆく。しかし、新しい出会いは彼女を強く豊かな人間にする一方、自分たちの家庭の異質さ、なかんずく母の異常さを否応なく突き付けてくることになる。
本書をアディーナの成長物語として読めば、清々しく感動的な物語である。〈汚れたスズメちゃん〉だったアディーナが、ゴミの中から蘇る姿はさながら不死鳥のようだ。
ただ、読み終えてすっきりしないのも事実である。
それは、アディーナの掴んだ幸福がカーラやボルコの不幸を経ているからだし、この作品が終始アディーナ視点で語られ、ゴミを集め続け育児放棄するカーラの内面は一切説明されないからだ。夫の死をきっかけに心を病んでしまったらしいと推測できるものの、カーラの胸の内は誰にも分からない。アディーナがこれから、答えの返ってこないいくつもの「なぜ?」を胸にしまい込むのかと思うと、本書で描かれている問題の大きさに暗澹たる気持ちになってしまった。
それにしても、悲惨な状況を詩的な文体で軽やかに描いてあるので、どこか現実を超越した趣すら漂う作品である。
本書は、ネグレクトを扱ったストーリーよりも、この独特な語り口を味わう一冊といってもいいだろう。通りの名前を羅列することで動作を表したり、〈桜級〉〈雲級〉といった造語でさまざまな感情を使い分けたり、無言のままに家庭の事情を抱えている同級生の苦悩を映し出したり、と独創的でおもしろい表現をする作家だと思う。[Amazon]
ドイツ:浅井晶子・翻訳



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