『劇場』サマセット・モーム

劇場 (新潮文庫)初モーム作品。
あまりにも有名な作家なので知った気になっていたが、考えてみれば一度も読んだことがなかった。サマセット・モームといえば、『月と六ペンス』や短篇小説あたりから入るのが一般的なのかもしれないが、なぜか『劇場』。カバーに描かれた女性の挑戦的な佇まいに、つい引き寄せられてしまったのである。ジャケ買いしたものの長らく放置していた本書を、ようやく読み始めた。
モームって、こんなにおもしろいのか!
ジェイン・オースティンの小説を「娯楽作品」と称賛したモームだが、その彼自身がエンターテイメント性に優れた作家だと思う。本書は、彼の劇作家としての経験がいかんなく発揮された作品である。

物語は、46歳の舞台女優・ジュリアのいわば「女優道」を描いたもの。
天性の才能と努力で、イギリス演劇界を代表する女優となったジュリア。美男俳優で劇場経営者の夫、長年プラトニック・ラブの関係を続けている貴族に恵まれ、仕事も家庭も順調だった。
そんな彼女が、20以上も歳の離れた若いトムに惹かれる。この青年、女たらしで名誉欲が強くプライドだけは高いという、実につまらない男なのである。最初はからかい半分で付き合っていたジュリアが徐々に本気モードになってゆくにつれて、「ジュリア、目を覚ますんだ!」と訴えたくなる。

ジュリアは恋に一喜一憂する中で、演技の真髄を掴むようになる。男性と違って女性作家は、恋愛中より失恋した後の方が良い作品を書ける、とよく言われるが、それは彼女にも当てはまる。
タイトルには、俳優たちが演じ観客に披露する場の「劇場」と、人生そのものを称した「劇場」のふたつの意味が込められている。作中にはシェイクスピア劇の台詞が引用されており、モームの演劇に対する並々ならぬ思いが伝わってくる。そもそも、この作品の書き出しからして「劇(舞台)的」である。

極論を言えば、ここでストーリーを全部書いたとしてもまったく支障はない。
なぜなら本書のおもしろさは、舞台を降りた日常生活でも「演じる」ことを止めないジュリアの心理描写にあるからだ。夫を愛する妻、子を慈しむ母親、寛容な態度を示す年上の恋人。場に応じた役割を本能的に演じ分け、その演技を冷静に分析するジュリアの女優根性にただただ舌を巻く。
俳優がインタビューで語る、さまざまな職業や立場の人の人生を演じられるのがこの職業の醍醐味、という言葉になぞらえれば、本書はさながら女優を体験できる一冊といえる。もっとも、ジュリアやシェイクスピアが悟ったように、誰しも人生という名の舞台で主役を演じているのかもしれないが。
読後、女優の涙なんて絶対信用するものか、と思った私である。[Amazon]

イギリス:竜口直太郎・翻訳

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