『アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家』エルサ・モランテ/ナタリア・ギンズブルグ

アルトゥーロの島/モンテ・フェルモの丘の家 (池澤夏樹=個人編集 世界文学全集 1-12)同時代にイタリアで生まれ、ファシズムの嵐をくぐり抜けてきた女性作家。
歩みこそ似通っているものの、題材も作風もまるで異なる収録作品である。
他人と交わらず、島で空想の世界に浸る繊細な少年を描いたエルサ・モランテの「アルトゥーロの島」と、逡巡しながら生きる大人たちの姿を書簡形式で浮かび上がらせたナタリア・ギンズブルグの「モンテ・フェルモの丘の家」
過去を回想する少年の独白で綴られた前者が、感傷的で神話めいた色合いを帯びているのに対し、後者は登場人物が多い上にそれぞれの人間が遠慮なく声(ここでは手紙だが)をあげているからか、にぎやかでぐっと世俗的である。

上下二段組みで550ページ近くある本書。
コストパフォーマンスは高いとはいえ、なにも一冊に二作収めなくとも、「アルトゥーロの島」だけでも十分ボリュームがある。それなのに、なぜこのカップリングなのだろうか。
個人編集を務めた池澤夏樹いわく、

人と人とは結び合うもので、そこから喜びと悲しみが生まれる。それを人は原理としてでなく体験によって学び、知恵として身につける。

共通点でくくることはその作品を限定的に捉えてしまいかねないが、なるほど、「人と人との結びつき」という視点から読めば、少年の楽園の崩壊と自分の居場所を模索する大人たちの転換期に、同じ喜びや悲しみを見出せるのである。
他者との関わりで生まれる軋轢と葛藤。成長に伴う精神的な痛み、とでもいえようか。「ぼくたちは、子供の寄り合いなのかもしれない」と綴る中年男性の言葉が心に沁みる。

ただ、多感な少年の心象風景を鮮やかに描き出しているとはいえ、メロドラマ的な「アルトゥーロの島」は私の好みに合わなかった。義理の母親との恋愛がなくても、子ども時代との決別を描けると思うのだが。でもそうなると、この作品が成り立たなくなるのか、うーん。
「モンテ・フェルモの丘の家」にしても、共同体の崩壊や家族のあり方など、重いものを突きつけておいて最後に放り出すこの幕引きはいかがなものか。さほど余韻の残るラストでもないような。始まりも終わりもない小説だが、なんとも居心地の悪い読後感である。
解説で紹介されているあらすじを見る限りでは、ギンズブルグの代表作とされる『ある家族の会話』の方を読んでみたいと思った。[Amazon]

イタリア:中山エツコ/須賀敦子・翻訳

monologue
読み応えたっぷりの池澤夏樹編・世界文学全集。
イタリアを代表する女性作家の一冊、ということで楽しみにしていたのですが、ちょっと期待はずれかな。

「アルトゥーロの島」は、三島由紀夫の世界観が好きな人なら気に入りそうな作品。
「モンテ・フェルモの丘の家」は、登場人物たちの人生を映し出した文面にぐいぐい引きつけられるのですが、散漫な印象は否めません。でも、『ある家族の会話』には興味持ちました。早速読んでみよう。

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