『神鵰剣侠(全5巻)』金庸

射鵰三部作の第二部。
『射鵰英雄伝』から十数年後の物語は、前作で非業の最期を遂げた楊康の忘れ形見・楊過が主人公である。
常識にとらわれず一途に突き進むため周囲と衝突しやすいが、聡明で義理人情に厚い漢(おとこ)だ。彼が師弟の絆を結び、やがて惹かれ合うようになるのが、18年間世間と隔絶されて育った古墓派の後継者・小龍女。
乱暴にまとめれば、南宋とモンゴル軍との攻防戦を背景に、世間知らずの美女と反骨精神みなぎる男が武林中をかき回しながら、幾多の障害を乗り越え絆を深めてゆく物語である。
父親の汚名、禁忌の恋、死の恐怖など、主人公の背負うものがあまりに重いため陰惨になりそうな話だが、東邪・西毒・金輪法王といったアダルトな面々が脇をしっかり固めて盛り上げる。老頑童こと周伯通の相変わらずのトラブルメーカー(?)ぶりも嬉しいかぎりだ。
個人的には、人生の大半を独りで過ごす、ある意味強烈なキャラクターの小龍女より、情愛に身を滅ぼす李莫愁の方が遥かに魅力的な女性に感じた。彼女の最期に胸を熱くしたのは私だけだろうか。フォーエバー・李莫愁。
さて、この『神鵰剣侠』は人間の善と悪を深く見つめた作品でもある。
「いい事をすれば善だし、悪い事をすれば悪だ。善人と悪人なんて、初めから決まっているものじゃない。その違いは、ちょっとした心の持ちよう一つなんだ」(第三巻P.208)
との言葉どおり、ここには完全な善人もいないかわりに、完全な悪人もいない。みな、善悪合わせて内に抱えた存在として描かれている。他者のために命を投げ出すこともあれば、過ちも犯す。そもそも、楊過の「過」という名、「改之」という字には、己の過ちを知って改めることの大切さが込められているのだ。
もしかしたら、「人間」とは「不完全」の謂いなのかもしれない。そんな人間くささを、たっぷりと堪能できる作品である。
ただ、血沸き胸躍る群像劇に引き込まれるとはいえ、楊過と小龍女のラブロマンスやご都合主義の展開にはついていけなかったのが正直なところである。
もっといえば、他の登場人物に比べて郭靖と黄蓉夫妻の長女・郭芙の性格は救いがないし(あの欧陽鋒ですらイイ奴なのに)、ラストのモンゴル軍との激闘は「ありえねー」の連続だ。これだけ武術の達人たちが揃っているのだから、城の守りに徹しなくてもカーンを暗殺すれば済む話なのでは?
もとより荒唐無稽な話なので目くじらを立てるつもりはない。この作品を楽しめるかどうかは、ひとえに楊過(と小龍女)を好きになれるか、にかかっていると思う。[Amazon]
中国:岡崎由美/松田 京子・翻訳




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