『倚天屠龍記(全5巻)』金庸

あなた、女難の相が出てますよ。
もし、主人公・張無忌(ちょう・むき)が街角の占い師の前を通り過ぎたら、こんな言葉で呼び止められるのではないだろうか。
愚鈍で妻に頭が上がらない郭靖と、一途に突き進むがために周りと衝突する楊過。彼らの欠点なんて、たいしたことなかったな。と、思えてしまうほどのへたれキャラである。腕は立つが、優柔不断で騙されやすい。「よき指導者ではないが、いい友達にはなれると思う」と作者にフォローを入れられているところが、なんだか情けない。こんな男が射鵰三部作のラストを飾っていいものなのか。
「坊や、大きくなっても、女の人に騙されないようにね、きれいな人ほど、人を騙すものなのですよ」という母親の遺言は、主人公の将来を暗示していたのだろう。
ここでは張無忌を巡って4人のヒロインが恋の鞘当てを繰り広げるが、そもそも本人がはっきり意思表示をすれば済む話なのだ。良く言えば、博愛・平等精神にあふれた人間といえるが、「このコもいいし、あのコも可愛い。でもキミも好き」と目移りしてフラフラする様は、到底女性の支持を得られそうにない。全員と結婚する夢を見てうっとりするシーンなんて、正直殺意を覚えた。
とはいえ、個人的には射鵰三部作の中でこの『倚天屠龍記』が一番好みだ。キャラクターのアクの強さでは前二作に負けるものの、ストーリーのおもしろさ・意外性でいえば本作に軍配が上がる。
東洋医学・薬学の知識を活かした鍼灸治療や、流氷浮かぶ北の地でのサバイバル生活など、ひとつひとつのエピソードが魅力的な本作だが、なんといっても、ミステリーとしておもしろい。
時は元末。『射雕英雄伝』から100年近く経ち、いまや郭靖や楊過たちは伝説の英雄として語り継がれている。手にした者は天下制覇も夢ではないと言われる伝説の宝刀・屠龍刀の争奪戦を軸に展開してゆく物語は、謎が謎を呼ぶ仕掛けになっておりぐいぐい引き込まれてしまうのだ。
また、歴史好きの私としては、明教(マニ教)の成り立ちと中国での広がりがストーリーと絡めて語られているのが興味深かった。
武林の主だった門派から「邪教」「魔教」と呼ばれ目の敵にされてきた明教。一方で明教は農民の側に立ち、圧政を強いる朝廷に抵抗してきた歴史をもつ。なにが「正」でなにが「邪」かなんて、結局どの視点から見るかで変わってくる。むしろ、「正義」の名のもとに殺戮を繰り返すふるまいこそ、忌むべきものなのだと思う。[Amazon]
中国:林久之/阿部敦子・翻訳



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