『希望ヶ丘の人びと』重松清

希望ヶ丘の人びと亡き妻のふるさと〈希望ヶ丘〉に引っ越してきた父子。が、再出発の決意を胸に暮らし始めたニュータウンは、けっして住みよい理想郷ではなかった。
いじめ、モンスターペアレント、家族の確執…。画一的で安定した世界に生じた、閉塞感やひずみに直面する住民の姿を描いた作品。

重松清が本書で取り上げたのは、70年代に開発されたニュータウンの「いま」の姿である。人と同じように町も、時とともに変化してゆく。
果たしてその名前に込められた「希望」のもてる町が作れたのか?そこで暮らす人々は、ほんとうに幸せなのか?小説というかたちで、ニュータウンの再評価と目指すべき未来像を模索した一冊といえる。

タイトルに「人びと」とあるように、本書は個性的な住人たちのエピソードで織りなされてゆく物語だ。伝説の不良のエーちゃんがいて、大人びた娘のマリアがいて、頑固一徹の書家・瑞雲先生がいて、その孫のショボがいて、優柔不断なチクリ宮嶋がいて…。このあたりのキャラクターの描き方は重松清らしく、安心して読める(ワンパターンといえばそうなのだが)。

ただ、親が子を想う愛情の深さに心打たれるものの、作者のメッセージが全面に押し出されてちょっと暑苦しい作品ではある。
希望とは。教育とは。家族とは。幸せとは。随所に主人公が自問する場面を差し挟むのはいかがなものか。直截的な言葉は、案外心に響かないものだ。
また、進学塾の教室長となった主人公が、ドロップアウトした子どもたちの再起を手助けし、生きることの大切さを教える特別授業を設けようとするところに、言いようのない違和感を覚えてしまった。

たしかに教育の使命を煎じつめれば、ここで書かれているようなことになるのだろう。けれど、それは進学塾に求められていることなのだろうか。少なくとも、主人公が思い描く教育像を貫くには、教師なり、フリースクールの校長なり、もっと他の立場の方がふさわしいように思う。設定といい展開といい、ご都合主義的な印象は否めない作品である。[Amazon]

  1. 希望ヶ丘の人びと 重松清

    70年代初めに開発された街は、2年前にガンで逝った妻のふるさとだった…。
    亡き妻の思い出のニュータウンに暮らす父子を描く感動長編。

  1. トラックバックはまだありません。