『嵐が丘』エミリー・ブロンテ

嵐が丘 (新潮文庫)舞台は、イギリス北部ヨークシャー。
ヒースの茂る荒涼たる自然を背景に、〈嵐が丘〉と〈鶫の辻〉二つの家族の三代にわたって繰り広げられる愛憎劇を描いた物語である。
〈嵐が丘〉の主人に拾われたヒースクリフは、屋敷の娘キャサリンと惹かれ合うようになるが、現実的な彼女は〈鶫の辻〉のエドガーを選ぶ。キャサリンの兄ヒンドリーの数々の仕打ちに堪え忍んできたヒースクリフだったが、絶望に打ちひしがれて屋敷を去ることに。
数年後、金持ちになって戻ってきたヒースクリフ。彼の猛る復讐心は、それぞれの子どもたちの人生も巻き込みながら、怒涛の結末へとなだれ込んでゆく。

古典的名作と思って読み始めると、多少、いやかなり戸惑ってしまうかもしれない。
「これは一体どういう小説なんだ?」と当時の評論家たちが『嵐が丘』の荒々しさとインモラルな主題にショックを受けた、というのも笑ってしまうがよく分かる。今読んでもそうなのだから。メーターの針が振り切れて測定不能、というぐらい強烈な作品だ。

寒風吹きすさぶムーア(荒野)の情景と、激情吹き荒れる登場人物たちの心理描写がシンクロするように語られてゆく『嵐が丘』。
視覚に訴える描写や、絶妙な語りのスタイルといった表現手法の巧さはさることながら、デフォルメしたような人物造形が非常に個性的な作品である。こんな極端な人間いないだろう、と思いつつも、誰しも根源的に持ち合わせているエゴの存在を指摘されたようで、ドキッとしてしまう。
ヒースクリフとキャサリンを中心に、ここではいくつもの男女のドラマが描かれるが、人間のどろどろした部分・本音が最も現れるのが恋愛なのかもしれない。関係が濃いだけに、執着も強いし感情の揺れ幅も大きい。愛情と憎悪なんて、紙一重だ。
「この世は丸ごと、あいつが生きていたことを、俺がそれを失ったことを記す、膨大なメモみたいなものなんだ!」。魂の片割れを求めるヒースクリフから執着心を取ったら、一体何が残るのだろう?
ところで、小説『氷点』(『続氷点』の方だったか)の中で主人公が『嵐が丘』を読んでいるシーンがあるが、今にして思えば暗示的である。どちらも人間のエゴを鋭く見つめた作品ではないか。

それにしても、本書の悪魔的なヒースクリフといい、『ジェーン・エア』の発狂した妻といい、強烈なキャラクターを生み出したブロンテ姉妹。
この発想、とても牧師の娘とは思えない。ムーアで過ごすと、空想力がたくましくなるのだろうか。[Amazon]

イギリス:鴻巣友季子・翻訳

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