『リンゴの木』ゴールズワージー
銀婚式の日に、妻とともにイギリス南西部の田園を訪れる48歳のアシャースト。
そこは、二人が初めて出会った懐かしい場所だった。途中立ち寄った村で、彼は若き日の初恋を思い出す。胸に去来するは、清純で可憐な村娘ミーガンの面影。花咲くリンゴの木の下で永遠の愛を誓いながらも、身分差を理由に彼女の元から逃げ去ったかつての自分。
甘い感傷で思い出に浸っていたアシャーストだったが、地元の老農夫から、彼の不誠実な行為の結末を知らされることになる・・・。(『林檎の木』改題)
上流階級出身男性の、身勝手で残酷な物語。
イギリス人エリート青年が、田舎娘の無垢な美しさに心奪われ相手をその気にさせるものの、春の一時の気まぐれと思い直し、結局同じ上流階級に属する女性を選ぶ。
この行為だけでも憤慨ものだが、捨てた相手を20年以上思い出すことなく、自分の責任をギリシャ悲劇に転嫁するお気楽ぶりには、もはや怒りを通り越して苦笑してしまう。
自然の美しさや芸術を愛でる豊かな感受性を持ちながら、他方で、自分と異なる世界に属する人間には平然と冷酷な仕打ちをする。しかも、罪の自覚すらない。
社会的成功者となった現在の彼の心を苦しめるものは、人生に対する倦怠感だけである。過去の恋愛に胸を痛めるとはいえ、同情の域を出るものではない。
美しい情景描写や詩的な文体で彩られているだけに、主人公の身勝手な論理がいっそう際立って映る作品である。痛みが伴っていないからか、どこか遠い、空想上の物語のようにも思えてくる。
タイトルの「リンゴの木」は、ギリシャ悲劇『ヒポリタス』の中に出てくる句から取られており、幸福の国を表現している。
かつて若い男女が愛を交わした場所。リンゴの木は、アシャーストにとっては輝くばかりの青春時代の象徴であり、ミーガンにとっては甘くも苦い記憶・終着点を意味する。このあたりの意識の差が、そのまま二人の間にある階級の壁を如実に現しているのである。
まるで物か偶像のように愛でるアシャーストのミーガンへの思いを、生身の人間の「恋愛」と一緒にしていいのか甚だ疑問だが、当時の上流階級の感覚を窺い知ることのできる一冊といえるだろう。[Amazon]
イギリス:三浦新市・翻訳



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