『二年間の休暇(上・下)』ジュール・ヴェルヌ

二年間の休暇〈上〉 (偕成社文庫)二年間の休暇〈下〉―十五少年漂流記 (偕成社文庫)「十五少年漂流記」として親しまれてきた冒険物語の古典的名作。原題が「二年間の休暇」というのを初めて知った。
ニュージーランドの寄宿学校で学ぶ生徒たちが待ち望んでいた休暇。二ヶ月の予定だった航海が、嵐で船が漂流して図らずも二年間に及ぶ無人島生活となってしまう。
帆船に乗っていたのは、8歳から14歳の少年ら15人。子どもたちは漂着した島で力を合わせて困難と戦いながら、自分たちの生活を築いていく。

有名な作品なので、今さら内容紹介する必要はないだろう。デフォーの『ロビンソン・クルーソー』に列なる、少年版・漂流記である。
この作品はいくつかの出版社から翻訳が出ているが、原書の雰囲気を味わいたいなら、偕成社文庫が良いと思う。ここには原書同様、レオン・ブラネットによる美しい木版画の挿絵がすべて掲載されている。
こんな自然豊かで食べものに不自由しない無人島なら、流されてもいい・・・。
現実逃避癖のある子どもだった私は、狩りや釣りで食料を調達し、楽しい遊戯も取り入れながら自活する少年たちの姿に心奪われたものだ。その時は、未知の世界・サバイバル生活への憧れが大部分を占めていたが、今回改めて読んで強く感じたのは、当時の西欧人の意識・民族観といったものである。

カバー折り返しの紹介文に、「人種的偏見や対立をのりこえて」という一文があるが、厳密に言えば正しくない。共通の危機に直面し一致団結していくうちに人種の壁は取り払われたかのように見えるが、寄宿学校の生徒たちと見習い水夫の黒人モコとの間には厳として溝がある。
この作品ではそんな差別を感じさせないが(本人も感じていない)、島の指導者を選ぶ際、「モコは黒人なので選挙権を行使できなかった」と当然のように書いてあるところにかなり違和感を抱いてしまう。

『ロビンソン・クルーソー』の主人公とフライデーの関係もそうだが、その性質上、冒険物語というのは帝国主義的思想が反映されやすいのだろうか。
そもそも、ニュージーランドがイギリスの植民地。寄宿学校の生徒たちは、いわば支配者側の息子である。幼いながらも立派な“ジェントルマン”の子どもたちなのに、漂着した無人島を自分たちの「植民地」と呼ぶ無邪気さが怖い。
もっとも、この作品に込められているのは、どんな危機的状況にあっても強い精神力があれば必ず抜け出すことのできる、という人生に対する肯定的なメッセージではあるのだが。[Amazon]

フランス:大友徳明・翻訳

関連する(かもしれない)記事

  1. コメントはまだありません。

  1. トラックバックはまだありません。