『かあちゃん』重松清

かあちゃんある女性の26年にわたる贖罪の年月が、いじめで級友を自殺未遂に追いやった中学生たちや、彼らを見守る教師の内面にさざ波のように広がっていき、確かな変化をもたらすようになる。
その波紋を、語り手を替えて紡いだ連作短篇集が本書。

予想通り、というか期待を裏切らず、うまい。母親の無私の愛が、ひとり背負うことの重みが、心の深いところを揺さぶってくる一冊だ。
第一、母親を出してくるなんて反則だと思う。もうそれだけで、ほろっとくる。意外なことに本書は、「重松清が初めて描く、母と子の物語」なのだそう。言われてみれば、これまでの重松作品で真正面から母子を扱ったものって、ありそうでなかったような気がする。

物語は、過ちを犯してしまった後の行動を追う。登場人物は「償いとは何か」という正解のない問いかけを、何度も自分の中で反芻することになる。
人は誰でもある日突然被害者になり得るし、加害者にもなり得る。もし、自分や家族が他人を傷つけてしまったら。危機感に近い問いに対し作者は、ひとつの答え―「忘れないこと」を提示してみせる。
犯した過ちは、できれば一刻も早く忘れてしまいたい。そして人間は、自分に都合の悪いことを記憶から消し去ることのできる生きものでもある。が、忘れない。どんなに時が経とうとも、周りから「もう十分じゃないか」と言われようとも。

償いの出発点から語り起こされた物語は、それぞれに事情を抱える母子へと視線を移しながら展開していく。
過ちに対する償いと、母と子の絆。一見結びつきそうにないふたつのテーマだが、「伝える」という意味では同じなのかもしれない。忘れないというのは後悔も喜びも全部ひっくるめて過去から未来へ繋げることだし、母から子へ思いは受け継がれていくものなのだから。
そもそも、わが子の幸せを一心に願う「お母さん」の存在を思えば、誰かを傷つけることなどできないはず。そんな愛情の抑止力とでもいうべき可能性に気づかされる作品だ。

重松清の小説はある程度のレベルが約束されているので、読み手としては安心して読める。けれど逆に、その巧さがあざとく感じてしまうのも事実。
〈かあちゃん〉に同情の余地を残し、中学生らにチャンスを与えたのは、作者の優しさなのか。それとも、単純に「加害者対被害者」の図式にしたくなかったからか。
これがもし、交通事故の加害者の場合だったらどうか。少年が自殺していたらどうか。毎日のように悲惨で救いのない事故や事件が起こっている現実で、この作品は人間の抱える罪と罰という問題について、真摯に捉えているといえるのだろうか。
綺麗にまとまった物語はお話としてはとても感動的だが、皮肉屋の私にはテーマの割に踏み込みが甘いように感じた。[Amazon]

  1. コメントはまだありません。

  1. トラックバックはまだありません。