『びんぼう神様さま』高草洋子

びんぼう神様さま年じゅう金欠でぴいぴい言っているからか、タイトルに引き寄せられるように手に取ってしまった。
でもよく見ると、びんぼう神に「様」がついている。それでは足りぬとばかりに、もひとつ「さま」が。
貧乏神(平仮名から漢字にするだけで、どうしてこんなにも辛気臭くなるんだろう)って、疎んじられることはあっても崇め奉られることなんて、まあないと思う。浅田次郎の『憑神』じゃないけど、貧乏神・疫病神・死神の3トップは、できればお近づきになりたくないもの。
・・・というこれまでの考えを、見事に一変させてくれたのが本書である。

60ページ足らずの昔話なので、すぐ読める。が、中身は深い。
松吉・おとよ夫婦の家に〈びんぼう神〉が住みつき、みるみる貧しくなっていく。人間の不平不満を聞くのを楽しみにしていた〈びんぼう神〉だったが、松吉たちは悲しんだり言い争ったりするどころか、何でも「そりゃぁええ!」と前向きに受け止め乗り越えてしまう。挙句は、神棚を作って拝み出す始末。
〈びんぼう神〉は初めての反応に戸惑いつつ、次第に自分の存在意義について悩むようになる。

「なんでわしは、神様って呼ばれとるんじゃろう?」
「なんで人が苦しんだり悲しんだりするようなことしかできんわしが、鬼じゃのうて神さんなんじゃろうか?」

もっとお金があれば。もっと恵まれていれば。もっと、もっと・・・。
人間の欲望には限りがない。もちろん、欲があるからこそ人は成長できるし、社会の発展があるともいえる。
だが、裕福イコール幸福なのだろうか。なんの悩みもない状態が、人間にとって良いことなのだろうか。
お金があるがために争い、人間関係が険悪になることだってある。病気になって初めて健康の有り難さを知ることだってある。作中、「願いを叶えれば叶えるほど人間の顔が妙にギラギラして、人相まで悪くなるような気がして」という〈福の神〉のセリフは含蓄が深い。

本書は、感謝を忘れない松吉一家や、他人のために尽くそうとする〈びんぼう神〉の姿を通して、人間にとっての幸せと何か、ほんとうの豊かさとは何か、ということをしみじみと考えさせてくれる。もしかしたら、自分の身に起きることで無駄なことなど、何ひとつないのかもしれない。苦労も困難も、心を鍛え成長させてくれる糧となるのだから。
幸運をつかみ損ねそうなタイトルだが、読後は心があたたかいもので満たされる一冊。[Amazon]

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